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[ 1 ] 5月16日
今回から "Le collier rouge" を読み始めます。
舞台は | : 第一次世界大戦後のペリー村 | |
登場人物は | : モルラック | 兵士。営倉に拘留されている |
: ランチエ | 士官、軍判事 | |
: ヴァレンティーヌ | モルラックの知り合い(恋人) | |
: ギヨーム | モルラックの犬 | |
: ディジュ | 営倉の看守 |
まずは、最初のページから。
戦争が終わり、平時になりましたが、ベリー村の営倉には一人の軍人が拘留されています。営倉の前には一匹の犬。首輪はなく、片方の耳はもげ C'était un gros chien...sans collier, avec une oreille déchirée、夜となく昼となく太い声で吠えつづけています。営倉の看守デュジュ Dujeux は、交替要員がいないために、持ち場を離れることができず、この犬を追い払うこともできません。
一方、拘留されている男は、護送されてくるときも、その後も、逃亡を試みる様子もなく il n'avait pas l'air de vouloir s'évader 、泰然としていて、穏やかに微笑んでさえいます。デュジュには、男のこの鷹揚な態度が鼻について仕方ありません… il (le prisonnier) les (Dujeux et les gendarmes) avait regardés avec un sourire trop doux, qu'ils n'aimaient pas。
今回はここまで。次回(5月30日)は、p10 C'était peut-être vrai, après tout. からです。
[ 2 ] 5月30日
四季を通して、気分の晴れる日が一日もないベリー村。その村で、営倉に寝泊まりしながら看守の仕事に明け暮れするデュジュ il couchait dans son bureau 。犬にほえられ放しで夜も寝れません Ses deux dernières nuits avaient été blanches à cause du chien 。「この年になってこんな仕事をしなきゃならないなんて après cinquante ans un homme devrait être dispensé d'épreuves de ce genre 」と、愚痴をこぼしながら、気分を晴らそうと、向かいの酒場から酒を配達させて、始終、チビチビと飲んでいます。配達してくれる若娘のペリーヌは、犬を怖がる様子もなく、なでることさえあります Perrinne... n'avait pas l'air de s'inquiéter du chien...elle s'était arrêtée pour le caresser。どうやら、犬はペリーヌや村人たちを見方につけているようです Les gens de la ville avaient choisi leur camp. Ce n'était pas celui de Dujeux 。
営倉には、まもなく査問委員の士官がやって来ることになっています。営倉に入れられている男の予備審理のためです。チビチビやっているところを見つかってはいけないと il voulait éviter de se faire surprendre en train de boire 、デュジュは酒を机の下に隠していましたが Il avait mis les bouteilles de Perrine sous son bureau 、ふと気が付くと、士官がすでに執務室の入り口に立っていました A l'entrée du bureau,...se tenait un homme 。知らず知らずのうちにウトウトしていたようです il avait dû s'assoupir quelques instants 。デュジュは慌ててからだを起こし Le gardien se redressa、指をもつれさせながら、はだけた軍服のボタンを留め (il) referma quelques boutons de sa veste en s'emmêlant les doigts、立ち上がって敬礼します Puis il se leva et se mit au garde-à-vous 。腫れぼったい目をして、酒の匂いをぷんぷんさせていることは自分でも承知していますが Il avait conscience d'avoir les yeux bouffis et de se sentir le vin 、どうしようもありません。
士官はデュジュに注意を払うでもなく、開口一番「あの犬を黙らせられないのかね... ... ... まあしかし、そう悪い犬でもなさそうだね Il n'a pourtant pas l'air méchant 。私が車を降りても、じっとしてたよ」と言います。直立不動で敬礼し続けているデュジュに向かって、ようやくのこと「休んでよろしい」と言いますが、その士官の口調は気のないものでした L'officier...dit "Repos" sur un ton las 。この士官はどうも、軍の規律や儀式にそれほど執着がないらしくA l'évidence, ce n'était pas un homme qui s'intéressait à la discipline...(à) la mise en scène militaire 、早速、椅子を前後、逆にしてまたがり、椅子の背越しに書類をのぞき込みます il...retourna la chaise et s'assit à califourchon, penché en avant sur le dossier。デュジュの気が緩んだことは言うまでもありません Dujeux se détendit 。士官に一杯勧めたら喜ぶかもしれないなどという思いが頭をよぎりますが、さすがにそれは口にはできませんでした 。
士官は30才そこそこでしょう C'était un homme d'une trentaine d'années 。上背があり、階級章をたくさんつけてはいますが、カイゼル髭は伸びきっておらず、まるで二本の眉毛を鼻の下につけたよう Sa moustache réglementaire n'arrivait pas à pousser dru et elle lui faisait comme deux sourcils sous le nez 。目の色は灰色がかった青ですが、まなざしは穏やかです。
次回はp13 Une paire de lunettes... からです。
[ 3 ] 6月13日
ワイマラナ犬
「 名前は ? Votre nom, adjudant? 戦地には行ったのかね ? Vous avez fait la guerre? 」 士官に質問され、デュジュは名誉挽回とばかりに張り切って L'occasion était bonne. Il pouvait marquer quelques points...、「 勿論であります... ... マルヌ (1) では肩に、モルトム (2) では腹に負傷いたしました。ですので…」と話しを続けようとしますが、士官はもういいと手で言葉をさえぎり、「 男の書類はあるかね ? 」と調書を求めます。書類の次は、独房への案内かと、デュジュは先回りをして鍵の束を手にしてドアに向かいます Dujeux allait déjà se jeter sur le trousseeau de clefs 。が、ここでも士官は「あの犬の犬種は? ワイマラナのようだが Qu'est-ce que c'est comme race...? On dirait un braque de Weimar. 」と質問。「 お言葉ではありますが、あれは雑種ではないかと… Sauf votre respect, je dirais que c'est plutôt un bâtard... 」とつらつら説明を始めるものの、士官は聞いているふうでもありません。デュジュは黙ることにしました。「この法務士官だって、もとをたどれば結局は田舎貴族 Encore un aristo...un de ces hobereaux...。無能なくせに威張る輩 」と心の中でつぶやきます。
「 じゃあ、男の話しを聞きに行くとするか」と士官に促され、デュジュは独房のならぶ廊下に士官を案内します。唯一鍵のかかった一番奥の部屋に入ると Tout au fond, la dernière(cellule) était fermée...Dujeux l'ouvrit...puis il fit entrer l'officier 、男がベッドに横になっています Un homme était étendu sur un des deux bat-flanc...。デュジュは、仕事熱心なところを見せたくて、「 起立 ! 」と叫びますが Dujeux voulut faire du zèle et cria "Debout!" 、士官は、デュジュに黙って出ていけと合図します。男は横になったまま動きません。士官はもう一つのベッドに腰かけ、待ちます。そして鼻のつけ根をこすりながら「こんにちは、モルラックさん」と小声で呼びかけます "Bonjour, monsieur Morlac", souffla-t-il en se massant la racine du nez 。
次回は、"L'homme ne bougeait pas. A en juger par sa respiration..." からです。
(1)(2): 第一次世界大戦の激戦地。モルトムはヴェルダンの戦いで村が消滅した。
[ 4 ] 6月27日
出典:Bibliothèque Nationale de France
「 ユーグ・ランチエ・グレズ少佐です。よければちょっと話しませんか 」。士官のランチエが静かに話しかけますが、男は動きません L'homme ne bougeait pas 。息遣いからすると寝てはいないようです A en juger par sa respiration, il était pourtant manifeste qu'il ne dormait pas 。看守のデュジュは、士官の言葉遣いを耳にして、「戦争が終わってからというもの、軍法会議の士官からして、この通り腰がひくくなってしまって… Depuis que la guerre était finie,...même la justice militaire semblait hésitante, affaiblie...」と嘆息します。とはいえあの士官が来てからは、不思議と、犬は吠えなくなりました le chien n'aboyait plus 。おかげでデュジュの肩の力は抜け il se sentait plus détendu、おもわずそろりと酒瓶に手が伸びます il se décida à étancher en sortant prudemment une bouteille de sous son bureau 。
一方の士官のランチエは、特に急ぐふうでもなく on sentait qu'il s'était installé pour un bon moment et qu'il avait son temps 、ひざの上の書類を開き、「 マルセル・モルラック…、生まれは1891年6月25日 」とまずは棒読み。「 …ということは28才と2ヶ月 … 出生地はビニ vous êtes né à Bigny … 召集は1915年11月 Mobilisé en novembre 15… …15年の11月 ? … 家の大黒柱ということで、招集を遅らせてもらったわけだ Vous avez dû être considéré comme soutien de famille et ça vous a valu un répit 」。記載されているのは無味乾燥な数字や地名ですが、ランチエはその一つ一つに、申し訳なさげに、解釈を加えます。
軍隊では登録番号や生年月日、出生地が、一人一人を区別する大切な情報です Les différences de date et de lieu qui définissaient chaque individu étaient fondamentales 。それ以外の情報はむしろ不要。軍隊という集団に1人1人の"顔"は要らないのです ils(les hommes) constituent une masse indistincte, compacte, anonyme 。
この戦争(第一次世界大戦)を経験した人間で、個人にいくばくかの価値があると、今なお信じ続けている者など、だれ一人いるわけがありません Personne ne pouvait avoir vécu cette guerre et croire encore que l'individu avait une quelconque valeur 。
個人を区別するものがあるとするなら、せいぜい登録番号や生年月日でしょう。ですから、一人の人間の審理を命ぜられてやって来たランチエもまた、この無味乾燥な情報を手掛かりにするしかないのです。il devait cueillir ces renseignements, les fourrer dans un dossier où ils se dessécheraient 。
次回は、p19 "On vous a d'abord versé dans l'intendance..." からです。
[ 5 ] 7月11日
サロニカ
兵士モルラックは どういう経緯で営倉に入れられるに至ったのでしょうか。士官ランチエは、調書を見ながらモルラックに語りかけます。「 まずは兵站部隊に配属されましたね On vous a d'abord versé dans l'intendance. 農家からまぐさを徴用したり…」。モルラックは寝たまま動きません。「 その後ギリシアのサロニカに送られて… Ensuite, vous avez été désigné...pour l'armée d'Orient...à Salonique... ... ... あのバルカン半島は、ソンム ( ピカルディー地方の激戦地 ) に比べたら、左団扇で暮らしているようなもんで...sur la Somme, nous avons...toujours considéré que les types de l'armée d'Orient étaient des planqués qui se la coulaient douce sur les plages...」と、ランチエは、自分が知っているバルカン情勢について語ります。かたい言葉づかいはあえて避けました。モルラックの片足が少し動きます Le prisonnier couché devant lui remua un pied 。良い兆候です C'était bon signe 。
サライユ将軍じきじきの文書によれば、"ブルガリア軍との戦闘において、モルラック上等兵は負傷したものの、その勇猛果敢な行いのおかげでフランス軍は攻勢に転じた Cette action héroïque a marqué le début de la contre-offensive victorieuse de nos troupes..."とあります。このくだりをランチエが読みあげると、モルラックは眠っているそぶりを止め、姿勢をかえました。そういう話しは聞きたくないという態度です 。ランチエは続けます。「レジオンドヌールを授かったくらいだから、それは稀にみる働きだったんでしょうねえ Il a vraiment fallu que ce soit un acte d'une bravoure exceptionnelle pour qu'on vous décerne la Légion d'honneur 。自分でも誇らしいでしょ、モルラックさん Il y a de quoi être particulièrement fier...monsieur Morlac...」。モルラックは毛布のなかにもぐりこんでしまいました。しかしモルラックが這い出して来るのも時間の問題です il n'allait pas tarder à se montrer 。
「レジオンドヌールを受けたあなたのような人が、なぜ人からとがめられるようなことを…。誰だってつらい戦争の記憶を消したい。酒に逃げることだってあります。そうであるなら謝罪して、悔悛の情をしめせば Dans ce cas, présentez vos excuses, exprimez un repentir sincère …」。こうランチエが語ると、とうとうモルラックが体を起こしました。汗だく、髪はもじゃもじゃ、頬は赤くほてっていますが、瞳に曇りはありません Mais son regard n'était pas brouillé 。首に手をやり伸びをし、そして一言。「私は酔ってもいなかったし、後悔もしていない」。
次回は、p25 "L'homme avait parlé assez bas et sa voix était sourde" からです。
[ 6 ] 7月25日
モルラックが起き上がると、なぜか屋外の犬はその気配を感じとり、再び吠え初めます。士官のランチエは尋ねます。「 少なくともあの犬はあなたを慕っているようだが En voilà un, au moins, qui tient à vous 、他にあなたを大切に思っている人はいないのかね ? Il n'y a personne d'autre qui tienne à vous, caporal ? あなたに自由になって欲しいと思っている人が… Personne qui préférerait que ...vous soyez libre … 」
モルラックが答えます。「何度も言いますが、自分でしたことは自分で引きうけます Mes actes, j'en suis responsable 。弁解する理由はどこにもありません」。その声は、モルラックの偽らざる思いを伝えるものでした Quelque chose, dans sa voix, disait qu'il était désespérément sincère 。
戦争によってランチエの価値観は大きく変わりました。モルラックにとってもそれは同じであるようです Lui aussi, à l'évidence, était marqué par la guerre 。来る日も来る日も、前線で死を覚悟していたのです 。普段の生活であれば、誰しも日々の人とのかかわりで、鎧をまとい、嘘の殻にこもることもあるでしょうが...la vie...la fréquentation des autres déposent sur la vérité chez les hommes ordinaires...les coques du mensonge, toutes ces peaux tannées...、二人にとっては、もはや虚言も虚飾もどうでもよいものになっていました Ils avaient cela en commun, tous les deux, cette fatigue de dire et de penser des choses qui ne soient pas vraies 。
「犬とは、随分長く、一緒なのかね ? 」「ずっとです... ... 召集をうけて、憲兵が迎えに来た時から、ずっとついてきました Il m'a suivi quand les gendarmes sont venus me chercher pour la guerre 。」「その話し聞かせてほしいな Rocontez-moi ça .」
ランチエは淡々とモルラックの言葉を調書に書き留めていきます。
モルラックは、ランチエにタバコを求め、鼻から煙を吐き出しながら、当時を振り返ります。、周囲の家の若者が次々と召集されたこと…そのために自分の畑ばかりか近隣の家々の畑も手伝わねばならなかったこと… On avait encore des labours...Et moi, j'avais aussi à faire les champs des voisin, parce que leur fils était parti dans les premieres、そして、隣人が戦線に向かうのを見て、自分の番が来たらどうするか、父親と話し合ったこと…、そんなことをモルラックは語ります。
次回もモルラックの回想が続きます。 P25 の Moi, j'étais pour me cacher. からです。
[ 7 ] 8月8日
モルラックの回想が続きます。モルラックは、招集されたら身を隠すつもりでしたが、父親にさとされ、迎えにきた憲兵の車に乗りこみます。
「 犬は ? 」士官がたずねます。「 ついてきました 」。
自分のことが話題になったと知ったのでしょうか。営倉の外にいる犬は、またも吠えるのをやめました Est-ce que l'animal avait entendu? Lui qui n'avait pas cessé d'aboyer..., il se taisait, maintenant qu'on parlait de lui 。
「招集された他の男たちの飼犬も、走って追いかけていました。憲兵たちは狩猟に行くみたいだと笑っていました。犬たちをわざと走らせていたんだと思います。 Comme ça, c'étiat gai, on aurait dit qu'on partait à la chasse 」。こう話しながらモルラックは笑ってみせはしましたが、その眼は悲しげでした。ランチエも愉快そうにしてはいたものの、それはうわべだけ...l'officier en face de lui manifestait la même gaieté de surface 。
士官ランチエの質問が続きます。「 あの犬の犬種は ? 」「 母親はブリアード犬ですが、男親は近くのオスというオスが寄ってきてたので…」とモルラック。不快そうな様子です (...il y avait)...dans ce propos plutôt du dégout 。不快を感じるのは、こういう生身の体の話しが、砲弾の飛びかう塹壕での人間の肉体を思い起こさせるからでしょうか。
ランチエは話しを元にもどします。「 犬は、追っかけてきた後どうなったのかね ? 」
「 ヌヴェで列車に乗ると、他の犬たちはホームにとどまったものの、あの犬だけは飛びのってきました La plupart des chiens sont restés sur le quai mais celui-ci, il a pris son élan...。飛びのったのが一匹だけだったので、憲兵たちも制止せず、むしろマスコットになりました。」
大事にしていた犬と一緒で嬉しかったのではと、士官はモルラックの気持ちを推し量ります Et vous, bien sûr, ça vous plaisait 。がモルラックにとって、犬はそれ以上でもそれ以下でもないようです。特別な思い入れがあったことはなく...je n'ai jamais eu beaucoup de sentiment pour les chiens...、撫でてやるなどということもありません。「 もちろん生き物を痛めつけることは嫌いだし、病気になれば手当もしますが、必要なときには殺すこともあります 」というのがモルラックの返事。
「 できれば隊をそっと抜け出したいと思っていたので je me disais qu'...il faudrait peut-étre que je file discrètement、目立ちたくなかったのですが、犬がいればそういう訳にもいきません... je n'avais pas envie de me faire remarquer, dans cette histoire de guerre...et alors, avec un chien...。 私は、あなたのような士官と違って、戦争がどんなものか知りませんでしたから Vous, vous saviez sans doute ce que c'était la guerre. Moi pas、 もし軍隊がそれほど私を必要としていないならば je me disais que si on n'avait pas trop besoin de moi à l'armée...、抜けだして家に戻りたいと思っていました j'essaierais de rentrer là où jétais utile 。残してきた畑地は、母親や妹だけでは手に負えません。」
ランチエは士官として、こうした農村出の兵士を知らないわけではありませんでした。しかし、都会に生まれ育ったランチエにとって、モルラックの故郷は、ランチエのそれとはまったく異質の世界のように思えるのでした。
ランチエに促され、モルラックの話しは続きます。半年ほどは後方の部隊にとどまっていたこと…、とはいえ戦闘が間近で起き、砲弾がとびかうこともあったこと Je suis resté... à faire du ravitaillement...mais...il arrivait que...les obus faisaient souvent du dégât 、それでも犬は常に一緒だったこと…。
「並みの犬じゃないね」というランチエに、「並みの犬ではありません」と答えるモルラックでした。次回は、p29 "Ce n'est pas un chien banal." からです。
[ 8 ] 8月29日
モルラックの話しの続きです。「食糧庫をあさった犬などは、いともた易く殺されてしまいましたが Il y en a même qui ont été carrément éliminés à coups de fusil parce qu'ils piquaient dans les réserves 、あの犬は違いました。食べ残しやら、ごみ箱やらで生きのびていました。手もかからず、足手まといにもならなかったのです」。
塹壕では、兵士たちが階級をわすれて話し合うことがあります Dans les discussions de tranchées, il arrvait...que l'on oublie les grades 。死は士官にも一兵卒にも平等に訪れるのです。ランチエとモルラックの対話も、聴取というよりは仲間同士の語らいのようになっていました。
そこでランチエはこう伝えます。「私は調書にこう書くつもりだ...j'ai l'intention de rédiger mon compte rendu...。モルラック上等兵は、表向きには挑発的なことを言っているが...malgré vos provocations verbales...、実は、あの事件は " 犬が隊での大切な相棒であったがために起きた事件である " とね vous avez créé avec ce chien des relations de compagnons d'armes... そうすれば恩赦になる」。
これを聞くや、モルラックは立ち上がり、タバコを壁に投げつけ、「そんなことは書いてほしくないね Je ne veux pas que vous écriviez ça, vous m'entendez ! 」と声を荒げます。ランチエは、激昂する兵士を幾人も見てきましたが、今回ばかりは、モルラックの怒りの理由がつかめません L'officier connaissait ces réactions de combattants mais...il n'en cernait pas le motif 。
犬が好きだから事件を起こしたわけではない --- じゃあ、誰のために ? --- そういうやり取りの末、「あんた達のためにだ。あんた達みたいな奴のために、事件を起こしたんだ 」 とモルラックは答えます。軍の上層部、政治家、その恩恵を受ける者 ...pour les gradés, les hommes politiques, les profiteurs 、戦争へと人を送る者、言いなりになる奴 pour tous les imbéciles qui les suivent...et qui envoient les autres à la guerre.…英雄やら、武勲やら、愛国やら、そういうたわごとを信ずる人間達 ceux qui croient à ces balivernes : l'héroïsme ! la bravoure ! le patriotisme ! …そういうやつらのためにやったんだ…と 。
下着姿同然で、息まくモルラックの姿は、滑稽で痛々しく、気の毒でさえありました il était à la fois ridicule, pathétique et inquiétant 。ランチエは、しばし呆気にとられていましたが、やがて「 度を過ぎた言動は、情状酌量の余地をうばうばかりか、そうやって侮辱をつづければ、自分の刑が重なるのだぞ 」とつよく戒めます。
しかしモルラックは頭をもたげたまま、目を伏せることもありません。酸鼻の4年間を生きのびたという事実が、彼をそうさせていました。士官のランチエは「 気を取りなおせ Reprenez vos esprit, mon vieux 。今日はここまでにしておこう Nous en resterons là pour aujourd'hui 」と話しを打ち切ります。
看守のデジュがモルラックの声を聞きつけて監房にやってきます。そして営倉の外では、再び犬が吠え始めていました Dehors, le chien avait recommencé à hurler 。
次回の"Le collier rouger" は p33 "Lantier du Grez avait ses bureaux à Bourges..." からです。
[ 9 ] 9月12日
昨日の聴取は、モルラックが激昂したために、そのまま終わってしまいました。モルラックには、頭を冷やして気持ちを落ち着かせてもらわねばなりません Il fallait lui laisser le temps de se calmer 。ですので今日の聴き取りは午後とし、それまでの間、士官のランチエは街なかを歩くことにしました Toute la matinée le juge avait flâné dans la ville...il ne comptait pas revoir Morlac avant l'après-midi 。
ランチは貴族ではありませんが、裕福な家庭の出。"祖国、名誉、家族、伝統…" これらを高貴な理念とかかげてきました。 Seules comptaient au début la Patrie et, avec elle, toutes les grandes idées : l'Honneur, la Famille, la Tradition 。個人や個人の利益などは、これらの理念に随うべきものと考えていました ...il fallait leur soumettre les individus, leurs misérables intérêts particuliers 。
ところが、いつ果てるとも知れない戦闘では、兵士たちとともに塹壕ですごすことも多く、ランチエの信念は揺らぎます。兵士たちは、かの理念のもと、つまり祖国や名誉のために戦っていますが、同時に戦いに疲弊し苦しんでいます。そのさまを見るにつけ、ランチエは、個人の苦しみと、あの高邁な理念とのあいだに、いったい、優劣や上下があるのか、と問うようになっていました...leurs souffrances n'étaient pas plus respectables que les idéaux au nom desquels on les leur infligeait 。
士官として軍事判事に任命されたとき、ランチエには自負がありました。自分は、軍という制度や国益というものを擁護しながらも、同時に人間の弱さを理解できる判事になれると。
しかしモルラックのケースは予想を裏切ります。モルラックは国を守り受勲をした男です。そうでありながら国に唾しています...c'était un héros, il avait défendu la Nation et, en même temps, il la voimissait 。モルラックはそう簡単には理解できない男のようです。そしてなぜか惹かれるものをもっている男です。士官ランチエの頭に、モルラックのことがこびりついて離れない理由でしょう。
士官は、一年中同じ料理しか出さない、小さなレストランに入ります。新聞をたのむと、来たのは2日前のもの。ソースがしつこくないといいがなどと思いながら、ラパン・シャスール(ウサギのソース煮込み)を注文すると Lantier commanda un lapin chasseur, en espérant...que la sauce ne serait pas trop grasse 、傍らの男が「 モルラックの件を担当しておられる方ですな 」と声をかけてきます。「 ノルベール・セニュレと言います。先祖代々地元で代訴士をしています。」 と自己紹介します。次回は、"Lantier opina mais, comme le lapin arrivait..." からです。
[ 10 ] 9月26日
自称"村の名士"のセニュレ氏は、「まさかモルラックがこんなことになるとは…j'étais loin de me douter...」と、どうとでもとれる意味不明の言葉を発し、ランチエの反応をうかがっています。が、ランチエは、湯気の立つラパン・シャスール(ウサギのソース煮込み)に専念することとし、あえてセニュレ氏の期待には応えませんでした Lantier, qui avait attaqué son lapin (fumant), choisit de ne pas l'aider 。
セニュレ氏によれば、モルラックの父親は働き者 Le père était...très travailleur 。母親は11人の子をもうけたが、育ったのはモルラックと妹の 2 人だけ il n'y en a que deux qui sont restés vivants 。教育はほとんど受けておらず、親を手伝っていたとのことで、市がたつ日に会う友達はいたものの、政治的な集いとは無関係だった、とのことでした。
ランチエは相づちを打っているように見えながら、その実、口に入った小骨をとるのに大忙し Lantier hochait la tête mais, à vrai dire, il était surtout occupé à sortir de sa bouche les éclats d'os...。「 戦争が終わってからはどうでしたか 」と質問してみると、セニュレ氏は再び口を開きます。
モルラックを見かけることはほとんどなくなったが、それはどの兵士もそうで、戦争から戻った男は人が変わったように人づきあいが悪くなったと言います。これを聞いたランチは、自分もそうかもしれないと思ったりもしていますが l'officier prit ce commentaire pou lui 、「 モルラックにはつき合っていた女性はいましたか 」と別の質問を投げかけます。
ヴァルネ村にいるヴァレンティーヌが恋人だという噂もある。この娘は伝染病で家族を失い、一人住まい。継いだ畑を耕し、篭を編んで生計をたてている。あ、そういえば子供が一人いた…などと、セニュレ氏が語っているうちに、ランチエの皿は空になります Lantier était arrivé à bout de son lapin 。ソースのせいか、暑さのせいか、服をはだけずにはおられません。ホテルに戻って一寝するつもりでいると、セニュレ氏がさも、" 私がこれだけ話したのだから… " と見返りを要求するかのように、軍の参謀の秘話などを聞きたそうな素振りを見せます L'avoué... voulait être payé de ses confidences en se faisant raconter des secrets d'état-major...。が、ランチはあくびまじりに支払いを済ませ、さっさと去っていってしまいました。
胃にもたれていたラパン・シャスールが、どうにか消化されたのが午後の4時。ランチエは営倉に向かいます。相変わらず犬が吠えています。
次回は p41 の Ensuite, je cois, sauf votre respect,... からです。
[ 11 ] 10月17日
犬は昼夜を問わず吠えています。しかし近所からの苦情はありません。その理由をランチエが尋ねると、看守のデュジュ曰く 「こう言っては何ですが、この村では軍はあまり良い目で見られていません on ne voit pas les militaires d'un très bon oeil par ici … この営倉は、戦時中、脱走に失敗して軍法会議にかけられることになっていた兵士で一杯でした … モルラックは、営倉にいる最後の一人ですし、あの犬の話しには、村人もほろりときてて Et puis, son histoire de chien, ça a attendri le monde …」。
ランチエは、モルラックの部屋に向かいます。今度は、寝ておらず、服を着、本を読んでいました。「 何を読んでいるのかね ? 」 ランチエは身体をかがめ、本を手にします Le juge se pencha pour saisir le livre 。ビクトル・ユーゴーの本でした。幾人もの手を経てきたに違いありません Le volume avait dû traîner dans bien des poches... 。隅はすれ、折りあとがたくさんあります。「 学校には行かなかったんですよね 」 と尋ねる士官ランチエ。「私の学校はこれです」とモルラックはあごで本を指します。「それと戦争です」。
ランチエが本を読むとすれば古典ですが、それ以外ではどちらかというと愛国心や君主制を鼓舞するような本です En fait de littérature, ... ... il n'avait lu que ceux qui exaltaient la Patrie... 。ビクトル・ユーゴーでは話しがかみ合わない…と心の中でつぶやき、前回の調書のメモに目を落とします。「 続きを始めよう。シャンパーニュに駐屯していた時に、一度、外出許可をもらっているね 」とランチエ。 確かに、モルラックはその間、村に戻っています。そしてその後、サロニカ (バルカン半島) に送られたのでした。
モルラックの説明はこうでした。「サロニカに行く前に、軍港のトゥーロンに寄りました。犬も一緒でしたが、軍港では犬が歓迎されないことを、なぜかあの犬は知っていて、どこかに消えてしまいました。徴用された植民地の民間船に、乗りこみましだか、船倉には将校たち用の馬が50頭ちかくいて、そのフンが臭うし Ça sentait ...le crottin, parce qu'il y avait une cinquantaine de chevaux dans les soutes, pour les gradés 、ノミやシラミやネズミはいるしで、皆、停泊中から吐いていました Tout le monde vomissait et, pourtant, on nétait pas encore en mer …」
「 犬は ? 」 とランチエ。「 頭のいい犬だって、前にも言いましたでしょ ? ... ... ...ネズミを口にくわえて、姿をあらわしたんです。出航後に。」
犬のこととなるとなぜかモルラックは多弁。決して悪くは言いません Il y avait quelque chose de curieux dans le ton qu'adoptait Morlac...il parlait volontiers de son chien et en des termes favorables 。ですが、その口調は愛情を感じさせるものではなく、むしろおそらくは「なぜ戦場なんかについて来た」と問うかのように、蔑むような、悔やむような語り口でした。
「 犬の名前は ? 」 「 列車に最初にとびのった時に仲間がつけました。ギヨームです。ギヨーム二世 (ドイツ皇帝,ヴィルヘルム2世) をもじってね」。権威がひややかに見られることに抵抗があるのでしょうか、士官ランチエは、多少困惑気味に、犬の名を調書に書きこみます。書きこみながら、犬が吠えるのをやめたことに気づきます。
「 で、サロニカでは " ギヨーム " はどうだったのかね ? 」という次の質問に、モルラックは「 タバコはありませんか ? 」と答え、あえてゆっくりときざみタバコの葉を紙で巻きはじめますMorlac s'occupa les doigts à rouler... il faisait exprès d'aller lentement... 。
次回は p46 "Salonique, reprit-il sans lever les yeux de son ouvrage..." からです。
[ 12 ] 10月31日
モルラックは重い口を開きます。「サロニカは奇妙なところでした Salonique,...c'était un drôle d'endroit 。フランス、イギリス、ギリシア…セネガル、ベトナム、アルメニア…トルコ、とにかくいろいろな国の人がいました。指揮官がいても、言葉は通じず、何をすればいいのか、どこに行くのか Personne ne savait ce qu'il devait faire ni où il devait aller 、皆、右往左往するばかりでした」。モルラックの話しはさらに続きます。港では、古いクレーンがまともに動かず、馬に乗った士官が指図をしますが、一人がこうしろと言えば、別の士官がああしろと言うありさま。町に入ると楽隊や旗で歓迎されたものの On nous a fait défiler dans la ville, avec musique et drapeaux 、その後は、砂ぼこりを舞いあげながら、延々と北進したこと… En marchant, on soulevait une poussière du diable... 。
「歩兵隊にいる限り、どんなことにも耐える覚悟がないと… ...quand on fait la guerre dans l'infanterie, il faut s'attendre à tout endurer 」といってモルラックが目を伏せます。ランチエは歩兵ではありませんが、経験はあります。いつ果てるとも知れない行軍、神経をすり減らす見張り、空腹、喉の渇き、寒さ、そして耐えがたい恐怖… Des images de marches interminables et de veilles épuisantes, des souvenirs de peur atroce, de faim, de froid, de soif...。
しばしの沈黙の後、モルラックがタバコの煙を大きく吐いて、再び口を開きます。これでもかという程、北進するうちに、やがて石だらけの山道になりました Le terrain devenait de plus en plus montagneux, avec des routes en pleines de cailloux 。前線に行かされるのだろうと思ってはいましたが、前線から撤退してきた兵士たちの話しを聞き、自分たちも「春の攻勢」に加わらねばならないということがはっきりしてきました。
モルラックがこう話している時に、看守のデュジュが食事を運んできました。ランチエは「明日はもっと早く来なければ…」と自戒しつつ、聴き取りを止め、営倉をあとにします。
夜、ランチエは寝つくことができません。手をさしのべているのに、どうしてモルラックはその手を拒むのか… Il(=Lantier) pensait à ce Morlac, à son refus de saisir les perches qu'il lui avait tendues. Pourquoi...。これまでは白黒のはっきりした事件をあつかってきました。とはいえ罪人のなかに、" 理想主義 " の片りんを見ることもあれば、無実の人間に " 心の裏 " を見ることもありました。モルラックが白黒つけられる男でないことは確かなようです。謎は解かねばなりません。まだ夜は空けていませんが Il se leva avant le jour 、ランチエは起き上がり、一階に降ります。
火を起こしていた料理人のジョルジェットに、厨房に招きいれられたところで、ランチエはたずねます。「ヴァルネ村に連れて行ってくれる人はいないかね ? Quelqu'un pourrait-il m'emmener là-bas, ce matin? 」 3 キロメートルほどだから、ホテルの自転車をお使いなさい、というのがジョルジェットの返事でした。
次回はp51 Quand Lantier se mit en route,... からです。
[ 13 ] 11月28日
© musee-orsey.fr
士官のランチエは、自転車でヴァルネ村へと出かけます。農耕馬や農夫たち、点在する池、その池の淵にならぶ柳の木、輪をえがいて飛びかうツバメ … … … 泥道もありましたが、ヴァレンティーヌの家はわりとたやすく見つかりました ...le juge avait facilement découvert la maison où habitait Valentine 。畑仕事をしていたヴァレンティーヌは、軍人がやってくるのを見つけ、立ち上がります。この暑さに軍服はそぐいません ... il était déplacé de se vétir de la sorte par une telle chaleur。戦争は終わっているのですから、滑稽にさえ見えます。
ランチエはやや馴れ馴れしいとは思いましたが、「ヴァレンティーヌさんですね ? 」とたずねます。名字を知らないのですから仕方ありません。ヴァレンティーヌは粗末な服をまとっています。羊の毛を刈るのと同じはさみを使ったのでしょう。髪はざんばら。ごつごつした手、骨ばった顔からは、厳しい自然の中で働いていることがわかります。しかし彼女の容姿は美しく、高貴でさえありますし、相手をまっすぐに見つめる黒い瞳は、苦しい生活を受け入れてはいても、それに甘んじていないことを物語っています Malgrè la misère de son apparence, elle proclamait par ce regard ... qu'elle ne s'y résignait pas 。
子供が一人、家の入口に姿をあらわしました。が、すぐにヴァレンティーヌに促されて、森の方へ去っていきました。「なんのご用事で… なにか私に…」と尋ねるヴァレンティーヌに、ランチエはつとめてにこやかに、名を名乗り、法務士官であることを伝えます。法務士官という言葉にヴァレンティーヌは顔をくもらせましたが、「ジャック・モルラックをご存知ですね」と問われ、とっさに子供が見えないことを確認して、うなずき返します Elle fit oui de la tête, en jetant un coupe d'oeuil... pour s'assurer que l'enfant n'y était plus 。ランチエは、どこか日陰でもあればというつもりで、「どこか、お話しできる場所がありますか ? 」とたずねますが、ヴァレンティーヌはランチエを自分の家の食堂に案内します。
le David ; la Bataile de San Romano
それとなく食堂を見まわすランチエは驚きます Lantier, sans trop le laisser voir, contemplait la pièce et s'étonnait 。確かに、農家らしく棚には、ジャムや保存食の瓶がならんでいます。チーズや塩漬けのにおいも漂ってはいます。が、壁はまるまる一面、本で覆いつくされています ...occupant un mur entier, il y avait des livres 。別の壁には、雑誌の切り抜きでしょうか、ミケランジェロのダビデ像や「サン・ロマーノの戦い」の絵、人物画、風景画、キュービズムの額などがびっしりと飾られていました ...on reconnaisait ... le Ddavid de Michel-Ange ou La Bataille de San Romano, ...des visages, des paysages ...même des tableaux de cette avant-garde cubiste... 。
次回はp55 L'officier avait une furieuse envie de se lever et... からです。
[ 14 ] 12月12日
あの本棚にはいったいどんな本がならんでいるのか…、遠目にも、重厚な装丁の本がならんでいることはわかります De loin, il pouvait déjà remarquer que... ils était en majorité recouverts d'austères jaquettes ...。ランチエはそばまで行ってみたい衝動にかられますが L'officier avait une furieuse envie de... aller regarder les couvertures 、ヴァレンティーヌに視線をむけられ諦めます。微笑んではいるものの、温かみがあるとは言えないまなざしでした。
「私は、あなたもご存じのある兵士の予審を担当しています Je suis chargé d'instruire le cas d'un soldat ...que vous connaissez 。ジャック・モルラックという兵士です」と、ランチエが口火をきりましたが、これはヴァレンティーヌにもとうに分かりきっていること。ヴァレンティーヌの反応はまばたきだけです。
回りくどいことを言ってしまったと自覚したランチエは、単刀直入に聞くことにしました。「出会ったきっかけは何だったんですか Comment l'avez-vous rencontré ? 」「彼の農場が、近道をすれば、10分で行ける所にありましたから…」「ということは、小さいころから、知り合いで En somme, vous l'avez toujours connu ? 」と、そんなやりとりから、ヴァレンティーヌは、村に住むことになった経緯を話します。
15才までパリにいたこと。家族を亡くしたために、叔母の住む現在の家にやって来たこと。2年前にその叔母も亡くなり、以来、一人住まいであること…。
ランチエはいろいろ質問してみたいと思いましたが、聴取に来たわけではなく、話しを聞きにきただけです。相手を構えさせては、元も子もありません Il n'avait aucun intérêt à la mettre encore plus sur la défensive 。
とはいえ、ランチエはすぐさま感じ取りました。ヴァレンティーヌはこうした場に練磨しており、丁寧に答えているようでいて、その実、大切なことは口にしない…と Lantier avait l'impression qu'elle était très aguerrie à ce jeu et que sa sincéritérité n'était qu'un écran, destiné à cacher l'essentiel 。
「モルラックと知り合ったのは何歳だったんですか ? 」「 18 の時です」。馴れ初めは、家畜用のまぐさを買いにモルラックの農場に行ったとき。互いにすぐに好きになったが、そのうちにモルラックが招集されて去っていってしまった、と言います。「召集されて行ってしまった」というくだりで、ランチエが「犬も一緒にですよね」と言葉をはさむと、ヴァレンティーヌは突如、わっははと笑います Elle éclata de rire 。一瞬で消えましたが、うれしそうな表情を、ランチエは見逃しませんでした。こんなに屈託なく笑うのかと、ランチエが思っているところに il ne l'aurait pas crue capable de rire de la sorte, sans retenue...、「そう、犬と。でも、それが何か ? 」という返事が返ってきます。
「モルラックがなんの罪に問われているかはごぞんじですよね。」と聞くランチエに、「ああ、そのこと。」とヴァレンティーヌは肩をそびやかすだけでした。
「" 英雄 " なんでしょ。だったらなんで、あんなちょっとしたことで、とやかく言われなきゃならないんです ? 」とヴァレンティーヌ。「英雄」という言葉をあえて皮肉っぽく言ってみせました。「ちょっとした罪ではありません。国への侮辱ですから Ce n'est pas une peccadille. C'est un outrage à la Nation。たしかに彼の手柄を考えたら、大目に見ることができるかもしれません。私もそうしようと思っていますが、本人がそれを拒んでいる。そればかりか、罰してほしいと言わんばかりの言動です Non seulement il refuse mais ... on dirait qu'il veut être condamné。」
これを聞いて、ヴァレンティーヌは、なぜか口元に微笑をうかべます。が、たまたま動かしたヴァレンティーヌの手が、テーブルの瓶にあたり、シロップをこぼしてしまいます。彼女が雑巾をとりに行っている間、ランチエはどう手伝ってよいかもわからず、手持無沙汰のまま、本棚のほうに向かいます。ちらりと見えた幾人かの作家の名前は、ゾラ、ルソー、ジュール・ヴァレス(註:パリコミューンに参加し、死刑判決を受け、ロンドンに亡命した作家・政治家)…。片付けの済んだヴァレンティーヌは、本棚からランチエを遠ざけたがっているかのように、ランチエをテーブルへと向かわせます Elle le poussait vers la table et semblait soucieuse, surtout, de l'éloigner de la bibliothèque 。「なんの話でしたっけ Que disions-nous ? 」とヴァレンティーヌ。席に着いたランチエはしばし沈黙。そして、自分勝手かもしれないが、モルラックの件が、軍人としての最後の仕事になるので、この件を赦免にできれば私も気持ちよく軍隊を離れることができるのだが…と語りはじめます。
次回はp61 Il avait honte de dire qu'il prenait un intérêt personnel ... からです。
[ 15 ] 12月26日
自分の都合を口にしてしまったことを恥じつつも、ランチエは話しを続けます。「戦争に勝てたのもモルラックのような男たちのおかげです。だから助けたい。だがモルラックはそれを受けつけず、自分が罰せられるものと腹をくくってしまっている...il est déterminé à se voir condamner 。ここに来たのも、それがどうしてなのか知りたくてなのです」と。
さらにランチエは、立ち入ったことですが、大切なことなのでと断りつつ -Puis-je vous poser une question indiscrète mais qui me paraît essentielle ? 、あの子供はモルラックの子供なのかと尋ねます 。
ヴァレンティーヌの答えはこうでした。モルラックに外出許可がおりて、彼女のもとにやって来た時、二人はずっとベッドですごしたと。ランチエをどぎまぎさせる答えでしたが、3才のジュールはまさしくモルラックの子供でした。ヴァレンティーヌはさらに付け加えます。でもモルラックは役場に行きませんでした。だから役所の届けに父親の名は載っていませんと (1) 。これを聞いてランチエは驚き、腰を浮かせます。
註 (1):未婚のカップルの場合、女性は出生届をだすことで自動的に母親となるが、男性は役所に赴いて認知することで父親になる© Papou Poustache
今度は、士官のランチエが語ります。モルラックは、戦争が終わって村にもどったものの、自分の家には帰っておらず、身分を偽って宿に投宿していたのでした Il s'était installé dans cette pension de famille sous une fausse identité 。ヴァレンティーヌには初耳のことでした -Je l'ignorais, dit-elle 。
「ですからモルラックは、あなたのためにここに戻ってきたのです。」とランチエ。そして「 子供に会うよう、モルラックに伝えてもいいですか ? 」と問うと、ヴァレンティーヌは肩をそびやかしながらも、もちろんと答えます。
ヴァレンティーヌが営倉に面会に行きたいと思っていることは明々白々でした。しかもずっと以前から。しかしそうしなかったのはなぜか、ランチエはその理由を聞きたいと思いながら、できませんでした。もっと質問すべきだったと悔やみながら帰路につきます En rentrant sur son vélo...il s'en voulait de ne pas avoir posé d'autres questions 。
暑さと疲れで自転車のハンドルさばきもあやしげなまま Il voyait la roue avant vaciller sous l'effet de la fatigue et de la chaleur 、ホテルに着き、昼食。午睡をおえるとすでに3時半でした。すぐに営倉へとむかいます。暑さのピークは過ぎ、東の風が心なしか吹くなか、ランチエは、" じきに自分は軍人から民間人になる…、軍服をきた軍隊生活を懐かしむことになるかもしれない " などと、道すがら考えています。やがて営倉が近づくと、犬のギヨームが暑さで憔悴しきったように、道に横たわっています Guillaume, le chien de Morlac, était couché sur le flanc...。水をずっと飲んでいないのでしょう Il devait avoir affreusement soif 。
ランチエは広場の木陰にある給水ポンプの所まで行き、水を出します。犬のギヨームはやっとのことで立ち上がり Le chien...se remit debout péniblement 、ランチエのもとに行きます。ギヨームが水を飲むあいだ、ランチエはポンプのハンドルをずっと回していました Lantier continuait de tourner la petite poigné de bronze 。
ギヨームが水を飲みおえたところで、ランチエがベンチに腰かけると、なんとギヨームもまたベンチの前にやってきて腰をおとし、ランチエを見つめます。
近くで見るギヨームは、見るのが辛いほど De près, l'animal faisait peine à voir 、全身が傷あとだらけでした。
次回は、p66, Il avait une patte arrière déformée ...からです。
[ 16 ] 1月16日
背中や脇腹にある傷痕は、砲弾の破片や銃によるものです。肌は硬くなっていたり瘤になっていたり…手当てを受けた様子はありません On sentait qu'elles(les cicatrices) n'avaient pas été soignées... 。自然に治すにまかせたのでしょう。片方の後ろ足は変形しています Il(Guillaume) avait une patte arrière déformée 。
ランチエがそっと手を差しだすと、ギヨームは近づいてきました。ランチエはなぜます。頭は、まるでぼこぼこのヘルメットをかぶっているかのようにいびつでした Son crâne était irrégulier au toucher, comme s'il avait porté un casque cabossé 。鼻のわきは火傷のあとで毛が抜け、ピンク色の肌がむき出しです。それでもギヨームの目は、人の心を動かさずにはおかない輝きをもっていました。
ギヨームはじっとしたまま動きません。ほかの犬であれば、しっぼをふったり、前足を出したり、地面を転がったり…そんなふうににしたかもしれませんが、ギヨームは、そんな心の表現をすべて目でしていました ...ses yeux à eux seuls exprimaient tout ce que les autres chiens manifestent en usant de leur queue et de leurs pattes...ou en se roulant par terrre 。うれしそうに目をおおきく開けることもあれば、眉を寄せて首をかしげることもあります。そして目を細めることも。目を細めるときは、人間がなにを望んでいるのかをうかがっているのかもしれません。
ランチエは、徐々に " けだるさ "が体にひろがっていくのを感じます。国に仕えたこの6年間はなんだったのか…。4年間は戦地で戦いました。残りの2年は秩序と権威のために、判事として兵士を裁いてきました。それが自分をすりへらせてしまったと感じます。ついさっきは、民間人になったら軍人生活を懐かしむかもしれない…と感傷にひたっていましたが Tout à l'heure, il avait dédà la nostalgie de la vie militaire...、今このベンチではむしろ、この6年間が虚しく感じるのでした。
犬のギヨームは、ランチエの気持ちを察してか Le chien avait dû sentir son découragement 、ランチエに近づき、ランチエの膝のうえにあごをのせます。ランチエの手がギヨームの首や耳をなでます。
かつては、ランチエも犬を飼っていました Lui aussi avait eu un chien, autrefois 。血統書付きのポインターで、名はコルガン。よくじゃれ合っていました。この犬がどれほど家族のことを思っていてくれたかを思い知る出来事がありました 。ランチエが13才の夏のことです ...il y avait en lui(Corgan) le ...dévouement,...et l'été de ses(Lantier) treize ans Hugues Lantier avait eu l'occasion d'en prendre la mesure。
夕食時に、3人の強盗がおし入ってきたのです。居間にいた母と2人の妹と使用人は部屋の隅に集められロープで縛られます。ランチエだけは2階の子供部屋にいましたが、物音に気づいて下の様子を見ていました。
次回は、p69 La suite avait été violente et très sale ...からです。
[ 17 ] 2月27日
押し入った泥棒たちの狼藉ぶりはひどく、戸棚や食糧庫をこわして、中にあるものを引きだします。欲望をむき出しにして、仲間どうしで争うこともありました。夜が更けて、食欲を満たした男たちは、だらしなく椅子に座り込んでいましたが、酔いの浅い一人が、部屋のすみで縛られている女たちに目をつけます...un des pillards, moins abruti par la ripaille que les autres, s'avisa qu'ils avait quatre femmes à leur disposition 。ランチエの母親と妹たちです。男は、12才の妹ソランジュを立たせ、ほかの男たちのところに連れていきます。ソランジュの目は恐怖で見開いたまま、まばたきもできません。ランチエはとっさに飛びだして助けたいと思いましたが Il eut d'abord l'instinct de sortir de sa cachette pour aller secourir sa soeur 、今、出ていけば縛られる人間が一人増えるだけです。
ランチエはぎゅっと目をつぶっているより仕方ありませんでした。が、突然のするどいさけび声で目を開けます。男がソランジュの服をはぎ取ったのです。そしてまさにその時、あるものが部屋を駆けぬけ、男に飛びかかりました A cet instant, une forme traversa la pièce et bondit sur lui 。犬のコルガンでした。コルガンは男を床にたおし、かみつきます。この混乱に乗じて、ランチエは家を飛びだし、1km先の村の警備隊のところに駆け込みます。すぐに10人の助っ人が集まりランチエの家に駆けつけます。 強盗たちは、"戦利品"を馬車に積んでいるところでしたが、そこでお縄になりました。家族は助かりました。しかしコルガンは命を落としました。
ランチエは、自分が軍人になったのも、この事件があったからだと思っています。野蛮な行為から「秩序」を守りたいと心に決めていたのです。しかし戦争が起きるや、それは思い込みであったことに気づきます C'était un malentendu, bien sûr 。「秩序」は人間を肥やしにして増幅し、やがては人間を疲弊させ押しつぶすことがあると知るのに、そう時間はかかりませんでした La guerre n'allait pas tarder à lui faire découvrir que...l'ordre se nourrit des êtres humains, qu'il les consomme et les broie 。それでもランチエは軍の使命に忠実であり続けたのには、やはりコルガンの一事があったからに違いありません。
…とランチエは、半睡状態でかつて飼っていたコルガンを思い出していたのでした。
一方、犬のギヨームはまだ、ランチエの太腿のうえに頭をのせています。うつらうつらしながら、だいぶ時間をとってしまったようです。ランチエは、そっと太腿をずらしてギヨームから離れ、軍服をととのえてから営倉に向かいました。
*** *** *** *** *** *** ***
シャワーの日だったのか、モルラックはこざっぱりと、石鹸の匂いをさせていました Ce devait être le jour de la douche... Morlac...sentait le savon de Marseille 。再び聴取が始まります。「どこまで話したんでしたっけ? ああそうだ。サロニック(テッサロニキ)のところまでだった」。モルラックは「サロニックでは、西部戦線のような過酷な塹壕戦はなかったし、敵も近くにはいなかった... ... ...ただ夏と冬の気温差が激しく、人員がひどく不足していた... ... ... それ以外は時間を持てあまして本を読むことが多かった。」と語ります。「読書好きは、誰かから影響をうけたのかね ? Ce goût de la lecture, vous l'avez bien pris à quelqu'un ? 」とランチエがたずねますが、モルラックは「かもしれない」とそっけない返事をかえすだけでした。
ランチエとしては、ヴァレンティーヌのことを、はなしの俎上にのせたいという思惑があっての質問でしたが、空ぶりに終わりました。そこで「今朝、奥さんに会ってきた。あなたはどうもすぐに会うつもりはないようだが、奥さんの方はどうやら待っている様子だ。」と単刀直入に伝えます。「ヴァレンティーヌは、私の妻ではない」とモルラック。ランチエは切り返します。「だが、あなたの子供の母親だ」。たちまちモルラックは唾棄するかのように、「人のことに頭を突っこむな。尋問はたくさんだ。さっさと有罪にして、これっきりにして欲しい」と叫びます。
「それなら犬の話しにもどそう。そもそも犬が問題なのだから」とランチエ。一瞬、ギヨームとベンチで過ごしたことを話してみたいという欲求にかられましたが、士官としての威厳を見せるに越したことはないと、口をつぐみ、調書に視線を落とします。 モルラックは語気をゆるめ、ギヨームについて語り始めます。「"春の攻勢"が終わる頃、私達はモナスティル(マケドニア)に退去させられたが、ギヨームは負傷をし前線に残った…」と。
[ 18 ] 3月13日
犬のギヨームは、前線に残されました。モルラックはギヨームをある兵士に託します。しかし頼んだことは、もしギヨームが死んだら、埋めてやって欲しいということだけでした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「でもギヨームは死ななかった…」とランチエ。「そう、あれはどこまでも食い下かる犬なんです」とモルラック。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そして… … … 傷がほぼ治った項、ギヨーは前線を抜けだし、モルラックに会うために、ヴァルダール渓谷からモナスチル(トビラ)までたった一匹でやってきました。主人のモルラックに会えはしましたが、頭にはなぐられた痕があり、両目は固まった血でほとんどふさがっていました。
そのようにしてモナスチルに着いたギヨームですが、そのギヨームに、とある一人の兵士が食べ物を与えます。残飯ではありません。力の付く食べ物です。傷の消毒もしてくれました。しかしそんな優しい人がいてもなお、ギヨームは、モルラックを主人とみて、終始、モルラックから離れることはありませんでした。
前戦ではほとんど戦闘らしい戦闘はなかったものの、敵の斥候たちと出くわしたことがあり、その時は、ギヨームが、敵と味方とを見間違うことなく戦ったといいます。
気候のせいで、多くの兵士がマラリアにかかり、モルラックもはげしい下痢に苦しみます。 「あの犬に感心があるようだからで話しますが、私が病気のあいだ、あの犬はずっとそばについていて、何かあると、助けを呼びに行ってくれました」とモルラック。
ランチエには解せないことがあります。農家の人が生き物や家畜を飼うのは可愛がるためではありません。そのことはランチエも重々承知しています。しかしそれにしても、モルラックのギヨームに対する覚めた態度は、なぜなのか。ランチエは、モルラックから聞きださなければいけないことが、まだ他にもあるはずだと考えます。
そこでランチエは尋ねます。「あなたが勲章をうけた戦闘に、ギヨームも加わったのかね」と。モルラックの返事はこうでした。「その話しは簡単には話せない。外で話すことはできませんか」。
狭くて薄暗い独房から出たいと思うのは、ランチェも同様。重要な供述がえられるかも知れない、と考えたランチエは、看守のデュジュに掛け合うことにしました。
次回は、p79 "Vous avez raison. Nous pourrions marcher dans la cour." からです。
© "Le collier rouge" Jean-Christophe Rufin Editions Gallimard, 2014
[ 19 ] 3月27日
『第一次世界大戦史』
板谷敏彦著 毎日新聞出版
ランチェは看守のデュジュに、中庭を散歩させてもらえないかと掛け合います。デュジュがもったいぶって、考えている風な様子を見せるので、ランチエはこれは命令だからと、鍵を開けさせます。
中庭は、粗削りな石の壁にかこまれ、舗石のあいだからは枯れた雑草が顔を出しています。わずかテニスコートほどの大きさですが、真っ青な空に夕日で赤みをおびた雲がゆっくりと流れています。この空気と空に触れたモルラックは嬉しそうでした。
「あなたの書く報告書で、誤解が生じるといけないので、どうしても言っておきたいことがあります」と中庭を歩きながら話し始めるモルラック。そのモルラックが「私が犬のギヨームを大切にし、戦友のように思っているという風に話しを持っていきたいのでしょうが…」と述べたところで、「その方があなたのためになるからだが」とランチエが口をはさみます。するとモルラックは足をぴたりと止め、ここは譲るわけにはいかないとばかりに、ランチエのほうに顔をむけます。
心地よかった戸外の空気の効用はそうながくは続かなかったようです。
「情状酌量にはして欲しくないし、とった行動の意味を人に曲解されたくない…。私が言わなければならないことにふたをしないでほしい。」とモルラックが言うや、それなら今こそちゃんと説明しいとランチエが促します。
「1917年に起きたことを覚えておられます ? 」とモルラック。
S.キューブリック 『突撃』
ランチエはざっと思い浮かべてみます…シュマン・デ・ダムでの戦い、大量の兵士の離脱、イタリアの敗退、米軍上陸…。のっけから厳しい話しになりそうです。しかし都合の良いことに、看守のデュジュが食事を運んできました。とりあえず今日のところは話しを切り上げることとしました。
営倉を出ると、暑さがやわらいだせいか、人が行きかっています。車輪をきしませて通り過ぎていく馬車…肩にはしごを担いだ職人…。帰りがけにランチエはもう一度、犬のギヨームをなでてやりたいと思いましたが、あの士官は感傷的だなどという噂が村に広がってしまうとも限りません。人目を考えて思いとどまります。
次回は、p82 "Un peu plus loin, il entra à La Civette pour acheter du tabac." からです。
© "Le collier rouge" Jean-Christophe Rufin Editions Gallimard, 2014
[ 20 ] 4月24日
© "Le collier rouge" par J.Becker
帰路、ランチェはタバコ屋のLa Civette に寄ります。自分ではほとんど吸いませんが、モルラックがタバコを持っていないかと尋ねてくるのが習慣になっていたからです。場合によってはモルラックから話しを引きだすのに、このタバコが役に立つかもしれません。
タバコ屋から出ると、村の憲兵隊長のガバールとばったり出くわします。憲兵隊長といっても鄙びた村ですので、隊員は二人だけ。生まれてこの方、村から離れたことがなく、戦地に赴いたこともなさそうな風情です。ガバールは敬礼をしたまま自己紹介します。不幸があって村を不在にしていたために、モルラックの聴取に立ち会えなかったことを詫びます。
休んでよろしい、とランチエ。そして「時間があれば…」とガバールを誘います。広場のブラッスリーで注文したビールを前に、ランチエは、"あの事件"の前からモルラックを知っていたのかと、ガバールに尋ねます。「見知っているだけだが、変わった男で…」という答え。戦争が終わって、村長がひらいた祝賀会にやってきたモルラックは、わざわざ人目があるところで銀のフォークやナイフを盗んだと言います。
「ヴァレンティーヌのことは知っているかね」というランチエの質問には、「そっちのこともご存じで…」とはりつめていた緊張を少しばかりほどくガバール。周囲をみわたし声をひそめて話し始めます。ヴァレンティーヌは気づいていなかったが、あの家には目をつけていた…追われている人間や労働者などが出入りしており、出てきた男たちを捕まえた…と内心笑っている様子。逆に今度はガバールがランチエに質問します。「ヴァレンティーヌの家族のことは知っておられますか」と。
「病気で皆、亡くなっているはずだが」と答えるランチエに、「亡くなったとしても、人は死ぬまでは生きているわけで…」と、ガバールは自分の理屈に少し鼻を高くします。そのガパールに向かって、ランチエは「だから?」と話しの続きを促します。
© "Le collier rouge" par J.Becker
次回は、p86 "Alors, elle ne vous a pas dit qui était son père." からです。
© "Le collier rouge" Jean-Christophe Rufin Editions Gallimard, 2014
[ 21 ] 5月15日
© "Le collier rouge" par J.Becker
ガバールはヴァレンティーヌの両親のことを語り始めます。「ベルリンで、ローザ・ルクセンブルグが惨殺されましたね。父親は、その口一ザ・ルクセンブルグに共鳴している男です。ドイツのユダヤ人で、徹底した平和主義者。扇動家でした。」獄中死したと言います。
母親は、洋裁の修業でパリに出た時に男と出会って結婚。「両親から土地を相続しましたが、あの男が獄中で死んだ後のことだったので良かった。さもなくば、あの男の大義とやらのために売り払わねばならなかったところですよ」とも付け加えます。
二杯目のビールのせいか、ガバールは大分くつろいだ風です。
ランチエは、ガバールが腹にいち物もっていそうな男だと感じてはいましたが、ここまで事情通だとは思ってもみませんでした。「母親は、遺産を手にしましたが、伝染病で逝ってしまったんです。で、残ったのがヴァレンティーヌです。父親譲りで、なかなか過激なようで・・・」。
ランチエはたずねます。「モルラックは、なんで戦争が終わってもヴァレンティーヌのところに戻らなかったのだろうか・・・ヴァレンティーヌに好きな男でもできたのだろうか」と。 「ああいう人間たちのことは、解かりません。もめごとがあったのかもしれないし。・・・警察ににらまれている男たちをかくまっていましたから」。
店のボーイがガス灯に火を入れ始めました。ホテルで夕飯を食べそびれたくなければ、もう戻らねばなりません。ランチエは支払いをすませます。別れ際、ガバールは敬礼しようとしましたが、ランチエはその手をとって握手をして去ります。風が犬のなき声を運んできます。弱々しい、か細い声でした。
翌朝、ランチエが食堂におりると、ホテルの外にヴァレンティーヌが立っているのに気づきます。ためらうヴァレンティーヌを促してホテルのなかに招き入れます。ヴァレンティーヌの家では、なんの違和感もありませんでしたが、街中のホテルでは、ヴァレンティーヌの身なりはあまりに粗末でした。
次回は、p90 " Il commanda un café. Elle ne voulut rien prendre." からです。© "Le collier rouge" Jean-Christophe Rufin Editions Gallimard, 2014
[ 22 ] 5月29日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
ランチエは、ヴァレンティーヌが窮屈な思いをしないようにと、中庭にいざないます。コーヒーを注文しようとしましたが、ヴァレンティーヌは固辞。敵とみなした相手からは一切の恩義をうけたくない、というヴァレンティーヌの頑なさがみてとれます。ランチエは、それはそれで見上げたものと思いつつも、コーヒー一杯も受けつけない頑固さに、苦笑せざるをえませんでした。
ヴァレンティーヌはやや唐突に、「やはりあの人に会いたいんです。知ってもらいたいことがあって」と切り出します。「会うように勧めてはいるんですがね」と言うランチエに、「勧めるだけでは、あの人は、会わないにきまっています。」とヴァレンティーヌ。"勧めるだけでは"という時に、あえてランチエの口調をまねていました。軍隊というものに対するヴァレンティーヌの強い反感を、ランチエは感じずにはいられませんでした。
「ではどう言えばいいんです?」
「どうしても会わなければならない、と伝えてください。会いたがっていると。」
「わかりました。まかせてください」。そういうやりとりに続いて、ヴァレンティーヌは、「あの人は、手紙を受けとれます?」とたずねます。検閲があるので、看守が開封しますと、ランチエ。
「ならば、あの人が戻ってきた時にいたのは、活動仲間です。だから感ちがいだと、伝えて下さい」とヴレンティーヌ。それはつまり…とランチエが聞き返そうとすると、口をはさまないでほしいと一蹴。ヴァレンティーヌは、動揺を隠すことができぬまま、逃げるようにして帰っていってしまいました。
* * * * * *
ランチエは営倉に向かいます。いつもの場所に、犬のギヨームがいません。看守のデュジュに聞くと、夜中に、息もたえだえで横になっていて、近所の女が保護したと話します。どこの家にひきとられたのかを聞きだしたランチエは、さっそくその住いに行くことにしました。道すがら、どうして「あの犬は審理に必要だから、犬の居場所を知りたい」などとデュジュにむかって言ってしまったのか、自問します。調書はもうほぼ書き終わっていますから、犬に会う必要などないのです。要は、犬に会いたかったんだと、ランチエは自分で答えを出しながら、口もとほころばせていました。
[ 23 ] 6月12日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
ランチエは、犬のギヨームが預けられている古いあばら家に着きました。「お入り」という老婆の声にうながされて、中に入ります。歩くすき間もない、かび臭い部屋の中にギヨームは横たわっていました。
お腹はへこみ、あばら骨が出て、毛のつやは失せています。「こんな具合になって。かわいそうに…」と老婆。ギヨームをなでているランチエに向かって、あんたはポールが呼んでくれたお医者さんかね、と尋ねます。あいにく、そうではないんですと、ランチエ。老婆は台所から、「医者なんか要らないんだよ。日陰と水と食べ物さえあれば元気になる」と話します。「そうすりゃ、軍人の野郎どもがあの飼い主を釈放するまで、また吠えつづけるだろうよ」とも。
ランチエは、自分に言われたのかのと、飛び跳ねんばかりに驚きますが、老婆が家具をまさぐりながら歩いている様子を見て納得がいきました。目が見えないのでした。
老婆は続けます。「あの飼い主が何をしたっていうんだ。いいことしかしてない。あの"人殺したち"に、本当のことを言ったばかりに、捕まっちまったんだから…。あいつらは、ここの若者たちを戦場に送り込んだんだよ…」と言いつつ、虚ろな目を食器棚のほうに向けます。棚の上には三人の若者の写真がありました。息子と孫だよ。1915年に三人とも…。
しばしの沈黙。それを振り払うように、老婆はゴムの管をつかってギヨームに水を飲ませはじめました。ランチエがたずねます。「もし飼い主が有罪になったら、犬を引き取られるんですか ? 」「有罪 !…戦争は終わったんだよ。かたを付けてもらわなきゃいけないのは知事さんやら、憲兵やら、甘い汁をすった兵士たちの方だよ」。
ギヨームがむせて水をたらしました。老婆はギヨームにあやまりながら、管をぬきますが、突如、ランチエに向かって尋ねます。「ところで、あんたはどなた ? 」
友達です --- 犬の ? --- いや、飼い主の--- 、というやり取りになったところで、慌てたランチエは「犬の面倒を看てやってくださいね。よろしくおねがいします」と言いつつ、いとまごいをします。ドア越しに老婆が犬に向かって話している声が聞こえてきました。「あんたの飼い主には変な友達が多いねえ」と。
次回は p98 "Lantier n'avait pas perdu trop de temps,..." からです。
[ 24 ] 6月26日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
ランチエは、営倉に戻ります。明らかにモルラックはランチエが来るのを待っていました。もはや、むりやり調書をとられているというのではなく、モルラック自身が話しておかなければならないと腹をくくったようでした。
二人は前日同様、中庭にでます。今日は話しが長くなると思う、とモルラック。時間はある、とランチエ。冷たい夜気が、太陽のふりそそぐ中庭に心なしか残っています。モルラックは話しはじめます。
" 東部戦線に着いたのは1916年だった。ただただ苦しいだけの一年だった。攻撃は失敗するし、冬もやって来るし。同盟国といいながら、イギリス、イタリア、ギリシア…どこも思惑は別のところにあって、あのサロニックではどの国もなるべく何もしないと決めこんでいた。だから上層部は、ばらばら。そのあおりをくらって、部隊の兵士たちはもっとひどい目にあった。マラリアそして下痢…。"
ランチエが時折口をはさみますが、モルラックは意に介せず続けます。
" 翌年の17年、部隊はチェルマ川を目指したものの、渓谷あり山ありの行軍。山の頂からは砲弾をあび、前方には敵の防塁がめぐらされていた。結局、自分たちの部隊も塹壕を掘ることになった。"
ここでランチエが再び、「同盟国の他の部隊はいなかったのかね ? 」と口をはさみます。「今、これからその話しをするところです」と答えるモルラック。
" 安南人 ( 仏領インドシナ、現ベトナムの人) がいたが、寒さで全員死んだ。ロシア人の部隊とは、ほとんど塹壕つづきで、ギヨームは時々このロシア兵たちのところに行っており、ある時などはウォッカを飲まされて千鳥足で帰ってきた。ギヨームを何度か捜しに行くうちに、私もフランス語を話せるロシア兵と懇意になった。ロシア皇帝の警察ににらまれて戦地に送られた兵士だった。他の兵士たちも大方同じだったから、ロシアで革命が近づいていることに皆、高揚し始めていた。" モルラックの話しは続きます…
次回は p102 "Quand ils ont appris la révolution de février,..." からです。
[ 25 ] 7月17日
なおもモルラックは続けます。「 とうとうロシア革命が起き、そのことを知った前線の兵士たちは歓喜に沸きました。もう持ち場にいる者はなく、今にも本国に帰ってしまいそうな勢いでした」。ここでランチエがたずねます。「孤立していた兵士たちが、どうして革命のことを知ることができたんだね」。
「そこなんです、問題は。ロシア兵たちは、ブルガリア兵から情報を得ていました。ブルガリア兵だけでなくオーストリア兵やトルコ兵たちも知っていました。本部が情報を流していたんです。ツァー(ロシア皇帝)が去れば、遅かれ早かれ戦争は終わるといって、兵士の士気を高めようとしていたんです」。
ランチエは疑問をぶつけます。「敵同士なのに、ロシア兵とブルガリア兵が接触していたということなのかね ? 」「そう、だからこそ " あの出来事 " が起きたんです」。
* * * * * * * * * * *
© "Le collier rouge"
par J.Becker
同じころ、村の憲兵隊長のガバールは、ランチエの依頼に応じて、ヴァレンティーヌの村に来ていました。帰還したモルラックがヴァレンティーヌの子供に会っていたのかどうかを調べるためでした。手掛かりはルイ。孤児院を逃げ出した後、一人で野生児のようにして暮らしてきた青年です。このルイは、ヴァレンティーヌに少なからず心を寄せており、ヴァレンティーヌと息子の様子をよくうかがっていました。憲兵隊長のガバールはそれを知っての上で、ルイのところにやって来たのでした。川でマスを仕留めたルイに声を掛けます。
次回は p108 " ---Tu va la vois tous les jours, je me trompe ? Le jeune homme ne dit rien. " からです。
[ 26 ] 7月31日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
憲兵隊長のガバールは、ルイに向かって声を掛けます。「相変わらず、見事な腕だな」。ルイは構えますが、ガバールはお構いなしに話しかけ、尋ねます。「戦争が終わった後、この辺りでモルラックを見かけたことがあったか」と。モルラックの名前が出てくるだけで、ルイは不機嫌になります。しかし、とある失態のせいで、ルイはガバールに頭があがりません。言を左右に託していますが、問われれば答えないわけにはいきません。
© "Le collier rouge"
par J.Becker
「どうなんだ」とガバールに何度も問い詰められ、答えます。--- モルラックが毎日、村にやって来ていたこと、--- そしてモルラックが会おうとしていたのはヴァレンティーヌではなく、子供の方であったこと、--- 一度は子供に声をかけたものの、逃げられてしまい、その後は子供を遠くから眺めていただけだったこと…" などを話します。
戦争が終わって、モルラックがまず会おうとしたのはヴァレンティーヌではなく、子供の方であったとは…ガバールは少なからず驚き、倒木に腰を落とします。とりあえず、士官のランチエに報告すべきことは聞き出しました。ガバールはルイを " 無罪放免 " とし、放免されたルイは、仕留めたマスを手に、逃げるようにして去っていきました。
次回は p112 "Tiens-toi prêt à me revoir bientôt ! lança le maréchal des logis. " からです。
[ 27 ] 8月21日
(再び場面は営倉)
モルラックがサロニックで起きた " あの出来事 " について話しています。
「ロシア本国で、二月革命が起きた後は、部隊内で小競り合がはじまった」とモルラック。「帝政につく側と、革命につく側とでか?」とランチエは尋ねます。「士官などの中には、帝政を支持している者もいただろうが、皆、囗をつぐんでいた。そうではなく、小競り合は、臨時政府を支持する兵士と、革命を続けることを望む者(ソビエト)との間で起きた。」とモルラックは答えます。
クールベの描いたプルードン
そう答えたものの、「あの事件」で自分がどんな立場にあったのかをどう説明すればよいのか・・・。思いあぐねつつ、「自分が読んだ本が役に立っとは思わなかった」と、やや唐突に述べます。プルードン、マルクス、クロポトキン…。ウァレンティーヌの蔵書を読みあさったモルラックでしたが、「どの本も、ユートピアを描いているようで、とても現実の社会とははど遠いと思っていた・・・だけれど、ロシアで起きた数々の出来事は、それが可能だと教えてくれたんです」と語ります。
私は小作農だ。砲弾も知らなければ、軍服を着た人間も知らなかった。数分のあいだに、数千の死体が炎天にさらされるという、そういう戦闘を経て私は変わった。戦争が私を変えた。答えが欲しかった。戦争とは、社会とは、軍隊とは、権力とは、お金とは・・・、他の人たちがどう理解しているのか知りたかった。・・・こう語るモルラックの眼はランチエを正面から見つめ、顔は紅潮していました。
次回は p116 "Ce nétait plus paysan borné à sa terre mais un homme avide d'espace et d'avenri." からです。
[ 28 ] 9月4日
シャガール『革命』
(モルラックの話しの続き)
" 私たちは野蛮のはびこる地獄にいた。でもロシアでは、暴制を倒そうとした人達が、その意志を貫徹した。私たちもまずはこの戦争を終わりにしたかった。戦うなら将軍たちだけが戦えばいい…。中には、戦線を離れたくて、わざと負傷する兵士もいたが、それでは何も変わらない。計画は、ロシア部隊の兵士と、敵のブルガリア兵たちと練った。前戦の敵同士が手を組むことが必要だった。"
「フランスでも、クリスマスの休戦中に敵味方か肩をくんだことがあったが…」とランチエが口をはさみます。 " 私達が求めたのは恒久的な和解だ。そのために水面下で動く必要があった。犬のギヨームはロシア部隊にぶらりと足をのばしていた。そのギヨームを迎えに行く、というのが格好の隠れ蓑になった。"
シャガール
『戦争 la guerre』
* * * * *
ランチェは驚きます。彼が受けとった調書には、そんなことは一言も触れられてはいませんでした。モルラックにある種の警戒心を抱きながらも、惹かれていたのは事実です。控え目というベールをまとってはいましたが、その下には尊大ともいえる信念を隠しもっていたのでした。監視のデュデュが昼食を告げます。二人分の食事が用意され、向き合ったランチエとモルラックはなおも話しを続けます。
次回は p119 "Ce nétait pas comme ça partout. Dans cette région montagneuse,... " からです。
[ 29 ] 9月18日
前線での目論見がどんなであったのかをモルラックは語ります。
戦争を終わらせたいと考えているのはモルラックたちだけではなかったこと…。敵のブルガリア部隊も、モルラックたちに同調していたこと…。フランス、ロシア、そして敵方のブルガリアの兵士が、共に上層部に反旗をひるがえす計画をたてていたこと…。他のすべての前線にもそれを広め、さらには、サロニックやソフィアで声明をだし、ロシア本土で起きたような革命の緒としたかったこと…。
ランチエが「冷めてしまうよ」と食事を勧めます。一瞬我にかえったかにみえたモルラックですが、スプーンを置いて、パンをちぎりながら、顔をくもらせ語りつづけます。「長い準備の末、9月12日に決行することが決まった」と。
「それは受勲の理由に書かれていた日付だね」と、ランチエが口をはさみますが、モルラックの反応はありません。
「12日の夜、200 人以上のブルガリア兵、ロシアの部隊…誰もが緊張こそしていたが、皆、自分を信じて冷静だった…。夜明けとともに、緩衝地帯をはさんで、敵と味方がともに賛歌を歌う、これが合図だった…」。モルラックは付け加えます。「この時の高揚はその場にいた者しか分からないと思う…」と。
「そしてその直後にあの事件が起きた。激しい戦闘になった。しかし実際に何が起きたかは、後になってしか分からなかった。」
「一人のブルガリア兵が事前の約束どおり一歩前に出た。すると、私の傍らにいたギヨームが突然、塹壕を飛びだし、この兵隊の喉に飛びかかってしまった。兵士は叫び声をあげ、混乱が起こった。罠だったと叫ぶブルガリア兵もいれば、それを鎮めようとする者もいた。しかし結局、激しい銃の応酬となり、こちらの砲兵がブルガリア軍の塹壕に一斉放射をはじめた。」
* * * * *
「ギヨームは敵と戦うことでいつもほめられてきた。忠実でいい犬なんです」と言うモルラック。顔は恐ろしいほど歪んでいました。
次回は p123 "Comment vous en êtes-vous tiré ? " からです。
[ 30 ] 10月2日
モルラックの話しの続きです。
" 私達は、兵士たちを押しとどめようとした。しかし、誰かが攻撃の合図をだすや、ロシア兵も私たちも塹壕から飛び出していた。ブルガリア軍は和解の準備のために、下士官を排除していたから、完全に混乱状態で、大した抵抗もできずに殺された。"
"私は後頭部を負傷し、目を覚ましたのは、3 日後、病院のベットでだった。"
「これが、私が勲章をもらった経緯だ」とモルラックは、締めくくります。
* * * * *
「あの犬が引き金になった…」と言うランチエに、モルラックはうなずきます。
" 病院には、功績をたたえると称して、将校や将軍がきた。誰もがギヨームを話題にした。ギヨームは中庭で私を待っており、冬の間中、看護師たちが面倒をみていた。しかし私はギヨームを殺したいと思ったことさえあった。どうやったらギヨームを厄介払いできるか、そればかりを考えていた。"
"看護師たちはお金を出し合ってギヨームに首輪とリードを買ってくれた。これで私と散歩しろと。"
"ギヨームを許せるようになるまで半年かかった。真夏の太陽を避けて木陰にすわり、ギヨームの毛のない首の傷痕を見ていた。その時に頭のなかですべてのことが氷解した。"
"人は私を英雄だというが、英雄はギヨームだ。戦地について来たとか、傷を負ったからというのではない。ギヨームは敵にたいして徹頭徹尾戦う。犬にとって戦場は、敵と味方に分かれる場所。良い者と悪い者、その 2 つしかいない。こういう動物の見方を、私達兵士は戦場で求められた。私達は犬ではない。にもかかわらず、そうせざるをえなかった。だから、褒美や勲章、賞状、昇進があるとすれば、それらはどれも、犬や獣の行いにたいしてはらわれるものなんだ。"
モルラックは立ち上がります。ランチエと向かい合わせでしたが、その視線はランチエの背後の遠くを見つめていました。
次回は p127 " Au contraire, la seule manifestation d'humanité,... " からです。
[ 31 ] 10月23日
ふたたびモルラックが話しはじめます。
"逆に、人間的な行いとはなんだ。敵同士を和解させたり、それぞれの政府につよく平和を求めるのが人間的な行いのはずだが、そんなことをすれば罰せられる。死刑にさえなったかもしれない。"
"ギヨームは犬の本性にしたがった。だから許される。しかし私達を殺戮に送りこんだ者たちには、赦しの余地は一切ない。--- こう考えたときに、私は次にどうするかを決めた。"
すべてを語り終えたモルラックは、精根を使い果たし、両腕をだらりと垂らし、目は虚ろでした。
一方のランチエは、混乱していました。モルラックが脱走したり、騒乱を起こしていたのなら、すぐにでも軍法会議にかける決断をしたでしょう。が、頭のどこかで、モルラックの言うことに首肯していました。外の空気を吸って、考えを整理せねばなりません。にわかに立ち上がり、「明日は調書に署名してもらう」とだけ告げ、独房をあとにしました。木陰のギヨームは吠えることもなく、去っていくランチエを目で追っていました。
* * * * *
ホテルに着くと、ヴァレンティーヌが待っていました。いつもとは打って変わって、恐れ気もなく、「出来ればどこかで食事を…」と遠まわしに言います。レストランでランチエと向き合ったヴァレンティーヌは、" 軍服を着た人間に、個人的な話しをすることなど滅多にないのだが…" と前置きをしながらも語りはじめます。当然のことながら、話題はモルラックのことでした。できれば今のランチエには、避けたい話題でした。次回は p130 "Il avait envie d'être seul et d'oublier cette histoire. " からです。
[ 32 ] 10月23日
酔いが少しまわったのか、ヴァレンティーヌは饒舌です。聞いてもいないことを、次から次へと話します。しかもランチエに話すというより、自分に向かって話しているかのよう。頭を休めたいと思っていたランチエですが、こうなったらヴァレンティーヌに好きなだけ話してもらうより仕方ありません。
" ジャック ( モルラック ) は、普通の畑仕事をしている人とは、ちょっと違っていた・・・。元々、本など読まなかったけれど、私を喜ばせようと、一生懸命読み始めた・・・。ジャックが帰ると本棚にすき間ができていて、何を持ち返ったかすぐにわかったし、彼が実際はロマンチストだというのもわかった・・・。
政治の話しは、戦争が始まった時に一度だけしたけれど、 全くの世間知らずだった…。召集された時、何か私のものを身につけていて欲しくて、毛糸のマフラーを彼に編んでわたした…。以前の私だったら、考えられないことだけれど…。犬がシャックについて行ってくれた時は嬉しかった…。元々は叔母の犬で、キルゥという名前だった…。人が大好きな犬で、誰に言われるでもなく、自分からジャックについていってくれた…。"
こんな具合で、モルラックにまつわるヴァレンティーヌの話しは切りがありませんでした。
次回は p133 "Il vous a donné des nouvelles ? " からです。
[ 33 ] 12月4日
ワインの瓶はすでに空。2本目に注文したワインもじきに飲み干されることになるでしょう。ヴァレンティーヌは話し続けます。" 寒いさなかに、ある日突如ジャック(=モルラック)が戻ってきたこと…。肉がそげ落ちて、すっかり変わってしまっていたこと…。軍隊に入って、想像だにしなかった数々のことを経験し、いろいろ疑問を投げかけてきたこと…。国ってなんだ、政治って、経済って、その中にいる人々ってなんだ…と。"
ジャックはじきに隊に戻らねばなりません。ですからヴァレンティーヌは、「そんな話しより、ジャックの身体の温かみに触れていたかった」と語ります。そして気持ちよく寝泊まりしてほしくて、一冬分の薪を使い切ったこと…。ジャックは本を読み漁り、3冊の本をもって隊に戻っていったこと…。
モルラックも聴取の時に同じことを言っていました。そこでランチエが言葉をはさみます。「その 3 冊とはプルードンとマルクスとクロポトキンだね」と。ヴァレンティーヌははっとして、ランチエを見ます。まるで初めてランチエの存在に気づいたかのようでした。
そしてさらに、" ジャックが東部戦線に赴いたこと…。子供を授かったと手紙にしたためたものの、もう帰ってきはてくれないのではと絶望していたこと…。"
ヴァレンティーヌの話しはまだ続きます。
次回は p135 "Comment a-t-il pris la nouvelle ? " からです。
[ 34 ] 12月18日
ヴァレンティーヌの話しの続き…。
赤ちゃんができた、という手紙にたいして、ジャック ( = モルラック ) の手紙はそっけなかったと言います。"「僕がもどる前に赤ん坊が生まれて、男の子だったらジュル、女の子だったらマリという名にするように」とだけ。あの人は感情の表現の仕方を知らない人なんです。"
" とにかく、戦争がはやく終わってほしかった。父のせいで、政治はもうたくさんと思っていたけれど、考えが変わりました。父たちは戦争は下劣だと言ってはばからず、まわりからは夢想家と揶揄されていました。でもその仲間だったジォンドロさんに手紙を書いたんです。J・ジョレス(1)と活動していた人です。」
話しを聞きながら、ランチエはなぜか嬉しい気持ちになっていました。ヴァレンティーヌが、軍人相手に話していることも忘れて、胸襟をひらいてくれているように思えたからでした。
非合法のチラシをあずかったり、収容所から逃げてきた人をかくまったりの生活が始まったと言います。このことをヴァレンティーヌはモルラックには知らせませんでした。手紙に書けば軍の検閲に引っかかるからですが、それにもまして、モルラックに心配をかけたくなかったからだと言います。しかし、事前に知らせておくべきでした。そうであれば、モルラックが予告なしに帰ってきて、思わぬ場面を目にすることもなかったはずだからです。
パリ 2 区のカフェ・デュ・クロワッサン
折しも、ヴァレンティーヌはジォンドロが送りこんだ逃亡中の青年をかくまっていたのでした。
(1) ジャン・ジョレス Jean Jaures : 第一次世界大戦に反対した政治家。パリ 2 区のカフェ・デュ・クロワッサンで国粋主義者に暗殺される。享年55歳。
次回は p140 "Et lui, il s'en contentait ? " からです。
[ 35 ] 1月8日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
ヴァレンティーヌの話しの続きです。
青年の名はアルベール。畑仕事に慣れていて、身重のヴァレンティーヌに代わって農作業を何かと手伝ってくれたと言います。家族と離れたさみしさから、ヴァレンティーヌと身を寄せ合うように過ごすことで安らぎも得てもいたようです。
ある朝、アルベールが井戸のそばで身づくろいをしていると、兵士がいました。モルラックです。ヴァレンティーヌは家にいるか、というモルラックの質問に、アルベールがまだ寝ていると答えます。その後一言二言、言葉を交わしますが、モルラックは去っていってしまいました。
"かくまっている人間とは、個人的な話をしない"、これがヴァレンティーヌの鉄則でした。知らなければ、尋問を受けたときに、答えずに済むという理由からです。アルベール青年が、モルラックのことを知らないのも当然のことでした。
© "Le collier rouge" par J.Becker
アルベールが「朝、兵士と会った」と、ヴァレンティーヌに伝えたのは、ようやく昼食の時になってから。もはや遅すぎました。モルラックはとうにどこかに去っていってしまっていました。
その後、ヴァレンティーヌはモルラックに何度も手紙をしたためます。検閲がありますから、詳しくは書けません。手紙が届いていたかどうかさえもわかりません。やがて赤ん坊が生まれ、町の写真屋で撮ってもらった写真も送ってみましたが、音信は途絶えたままでした。そして「あの事件」が起こり、モルラックが逮捕されて初めて、ヴァレンティーヌはモルラックが村にいたことを知ったのでした。
ヴァレンティーヌの話しはこれですべてでした。ずっとこらえていた涙があふれ、渇いた木のテーブルに流れ落ちます。
そして翌朝。ランチエは森にでかけます。考えなければならないことがたくさんあります。今あつかっている予審もですが、軍人を退いた後のこと、2 回の大戦とこれまでかかわった裁判のこと…。ランチエはナラの木々のなかに延びる細い径を歩きつづけます。
次回は p146 "Il découvrit un étang au coeur de la foêt et... " からです。
[ 36 ] 1月22日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
森の中、ランチエは猟犬を連れた猟師たちとすれ違います。犬がランチエに寄ってきて臭いをかぎます。ランチエは思わずギヨームのことを思い浮かべました。犬は決して人の孤独の邪魔をしない…。ギヨームがいてくれたおかげで、モルラックはどれだけ幸運だったか。モルラック自身はそのことをちっとも分かっていない…などとつらつら考えます。
しばらくすると憲兵隊長のガバールが、" 伝えたいことがあって…" といいながらやってきました。自転車を押しながらランチエと並んで歩きます。ランチエの一人の時間が終わりました…。
* * * * *
© "Le collier rouge"
par J.Becker
営倉の執務室。最後の聴取の日です。ランチエはモルラックと向き合って腰かけ、こう切り出します。" いろいろ考えてみたんだが、君の言う" 人間らしさ " とか " 人間味 " というのははなはだ不完全だと思う " と。" 戦争も国家の理念も否定して、一部の人間に支持された政府にも反対していたね…" 。
モルラックには、ランチエが一体何を言いたいのか皆目、見当がつきません。ただ当惑するばかりです。"私は軍人。君は理念のために闘う人間。考え方も価値観もちがうが、どちらにしても戦うということからすれば、君のしたことは、誤りだった。弱さと言ってもいい " と、まくしたてるランチエに、モルラックは「何を言っているのかわからないね」と答えるのみでした。
次回は p149 " Vous ne comprenez pas. Eh bien, reprenons les faits. ... " からです。
[ 37 ] 2月5日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
「わからない ? ならば、実際に何がおきたのかをさらっておこう」と、ランチエは調書を開きます。「 1919年7月14日午前8時30分、ダントン通りでの行進の準備がととのうなか、ジャック・モルラックなる人物は、来賓席へと近づき…」 とランチエが読みあげます。モルラックは肩をそびやかして、他人事のように聞いています。つづけてランチエが読みあげる内容はこうでした。
「モルラックは知事のまん前に進みでる。しかしモルラックが負傷した身であること、受勲者であることから、だれも制止する者はいなかった。来賓席が静まり返ると、モルラックは滔々と " ここに同席の兵士ギヨーム(犬)は、東部戦線において…" と述べはじめ、さらに " 武器を捨て、停戦を求めたブルガリア兵を襲った。この強暴なふるまいと国家への盲従は、祖国から讃えられるべき模範的な行いであり、勲章に相応しい。したがって、ここに、兵士ギヨームに共和国大統領の名において勲章を授ける…" と語り、仰々しくギヨームの首に自分の勲章をかける。敬礼の後、犬共々、行進する隊列の先頭にたつ」。
© "Le collier rouge"
par J.Becker
「挑発ともとれるこの振舞いに、村人の間からは笑いがもれ、拍手がわく。ただちにモルラックは憲兵にとりおさえられ、知事が式典の解散を告げる。」
ほぼこのような内容の調書を、ランチエが読み終えると、モルラックは「調書にサインをすればいいのか ? 」と言うのみでした。「こういう振舞いがどれほどの罪になるかわかっているのか ? 」とランチエは詰問しますが、モルラックは「なんなら銃殺してもらってもいい」と答えるのでした。
次回は p152 " Nous ne sommes plus en guerre et la justice sera... " からです。
[ 38 ] 2月19日
© "Le collier rouge"
par J.Becker
「植民他への流刑が相当だろう。」「 ならは流刑にしてくれ。」そういうやりとりの後、ランチエがたずねます。「最初から処罰されること望んでいたが、それがどう " 君の大義 " に 役立つのかね。」
モルラックの答えはおよそ次のようなものでした。「戦争にも、戦争を望む者にも私は反対だ・・・だからそういう者から勲章を受けるつもりも、温情を受けるつもりもさらさらない・・・勲章を拒む者がいることを知れば、勝った勝ったとうかれる者も減るはずだ…。」
ランチエは席を立ち、モルラックのまん前に座りなおします。二人のひざが触れ合う程の近さで、" どこまで本当にそう思っているのか " とたずねます。
" いろいろ筋道をつけて考えた末だろうが、あの突飛な行動で世の中を変えられると思うほど、君はばかではない...。" そう言うランチエに対してモルラックは「あれがきっかけになるはずだ」と述べますが、「いやあれで終わりだ」とランチエ。
© "Le collier rouge"
par J.Becker
営倉の外を馬の足音が過ぎていきます。しばしの沈黙の後、ランチエが口を聞きます。 「罰せられることを承知の上で、なぜ君があんな行動をとったのか、私なりに考えみた。」
モルラックが応じます…" 聞こうじゃないか " 。
次回は p154 " Vous ne l'avez pas fait. Si vous étiez si préoccupé de... " からです。
2019年3月から半年、この備忘録をお休みさせていただきました。この間に、" Le collier rouge "を読了しました。
営倉に入れられていたモルラックは自由の身となります。士官として予審にあたったランチエはヴァレンティーヌにそのことを伝えます。そして、はやくモルラックを迎えに行くよううながします。軍人としての最後の仕事を終えたランチエはパリの家族のもとにもどります。その道中にお供がいました。犬のギヨームです。車の後部座席にすわるギヨーム… … …運転席のランチエは振り向いて手をのばし、ギヨームの頬にふれます。 この小説の最後の最後の一文です "Et le chien, lui aussi, avait l'air de sourire " 。