2025 年 11 月 4 日
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J.ジャンセンとJ.ロッキャー今週も第十課の『 Jules Janssen ジュール・ジャンセン 』の続きです。こちらのサイトのテキストを読みました。
ジャンセンは、飛行機がない時代の人でしたが、世界各地を訪れています。アルジェリアのオラン Oran en Algérie 、ペルー le Pérou 、イタリアのトラーニ Trani en Italie 、ギリシアのサントリーニ島 l'ile grecque de Santorin、ポルトガルのアゾレス諸島 les Açores au Portugal 、ベンガル湾のグントゥール Guntûr dans le golfe du Bengale 、日本の長崎 Nagasaki au Japon 、そしてアルプス les Alpes を何度も…。すごいです ネ 。いずれも太陽や地球の磁場などの観測が目的だそうです。

ベンガル湾のグントゥールの観測では、日蝕がいつになく長かったそうです。そのおかげで 彩層 ( chromosphère ) のスペクトルのなかに、黄色の線が存在することを発見し、これを地球では確認されたことのないものだと考えたのだそうです ...il ( Jules Janssen ) observe une éclipse solaire d'une durée inhabituelle, qui lui permet de relever la présence, dans le spectre de la chromosphère, d'une raie jaune lumineuse jamais détecté auparavant 。誰も確認したことのない線ですので、すぐには受け入れられませんでした。
しかし英国の天文学者ジョセフ・ノーマン・ロッキャー ( Joseph Norman Lockyer,: 科学雑誌 Nature の創始者だそうです ) が、おなじ線を見つけ、ジャンセンとおなじ結論をひきだしたのだそうです Sir Joseph Norman Lockyer, astronome et fondateur de la revue Nature , observe à son tour la même raie spectrale et en tire des conclusions similaires 。ヘリウムと名づけられましたが、その名は太陽神のヘリオス Hélios からとったものだそうです。
© 『時事フランス語 2025年度版 Hirondelle 2025 』 朝日出版社
© https://pg-astro.fr ; Philippe Garcelon - 上級
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今週は『影泥棒 Le voleur d'ombres 』です。
前回は、「僕」が、老婦人から子供たちとの確執の話しを聞くくだりでした。婦人は救急外来に搬送されてきたのですが、僕のアパルトマンの真上に住むお隣さんと判明。
診療後、婦人を自宅に送りとどけ、ゆったりソファーに腰をおちつけてもらうと、婦人が息子夫婦、娘夫婦と反りが合わないとこぼします。
クリスマスを彼らと過ごしたくなかった婦人は、捻挫をしたからと嘘の電話をいれたのだそうです。嘘をつくと、とかくややこしいことになるのですが、婦人はその後すぐに、滑って転び救急車を呼ばざるをえなくなったとのこと。クリスマスイヴに若い救急隊員に搬送してもらい、捻挫という診断を受けて包帯をしてもらって帰宅したのですから、婦人はまことに上機嫌でした。♠
そして正月明け。リュックが、母から託された手紙とプレゼントを届けてくれました・・・と前回はここまで。
* * * * *

手紙のなかみはおおよそこうでした。
「 " 私( = 母) " は看護師だったから、医者の卵の " あなた( = 僕) " がどれだけ忙しいか十分に知っています。 一人親だった" 私 " は、時に疲労困憊して帰宅しました。そんな時には、" あなた " に言葉をかける力もありませんでした。許して下さいね。
6月に医学部を卒業するあなたが誇らしいです。冬のあいだ、芳しくない体調であなたに会うわけにはいきませんから、春になったらすぐに会いにいきます。--- --- 新年おめでとう 世界一幸せな母より 」 。
手紙にはプレゼントの手編みのマフラーが添えられていました。少々、不出来な、母曰く " 最初にして最後の編み物 " でした。* *
そして1月初め。僕はソフィーと久しぶりに再会。医局の前のカフェで、しばし他愛ない話しをしたあと、突如ソフィーが、「私たちがつきあい始めて、どれくらい経つ ? 」とたずねます。そしてあの出来事はいつだったか、この出来事がいつだったかと詰問してきます。
自分はあなた ( = 僕のこと ) にとって親友なのか、恋人なのか。なぜ私をお母さんにひき会わせたのか。そしてその夜、屋根裏部屋で二人ですごしたあの一時はなんだったのか。単なるお客さんだったのなら、どうしてあなたの人生のなかに私をひき入れたのか...pourquoi m'avoir laissée entrer dans ta vie si ce n'était qu'en simple visiteuse ? 。私たちには本当に共有できるものはあるのか。矢継ぎ早にソフィーの質問がとびだしてきます。
そしてソフィーは立ちあがりカフェを出ていってしまいました。冷たい雨の中、赤信号を待ちながら、白衣の襟をたてるソフィーを窓越しに見て、僕はあわててソフィーを追いかけました。辛い思いをさせたことを心からわび、ソフィーを抱きました… 。
僕の侘びは真摯なものでした。しかしこの時、僕はまだこれからもソフィーに辛い思いをさせることになることを知りませんでした… 。ソフィーと僕は、ソフィーのアパルトマンで一緒に暮すことに。毎日、自分のアパルトマンに立ち寄り、上階のアリス ( かの老婦人です ) の具合ものぞいていました。いたって元気で、息子、娘の悪口をこれでもかというほど語り Alice se portait comme un charme....elle débitait des horreurs sur ses enfants 、実に意気軒昂でした。
次回は p206 の " Un soir, alors que nous nous retrouvions tous les deux par hasard chez elle, ... " からです。
© " Le voleur d'ombres ", Marc LEVY, Edition Robert Laffont
2025 年 11 月 11 日
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© AMAURY CORNUHans LucasHans Lucas via AFP今週は第十一課。タイトルは『 L'avortement dans la Constitution : un événement symbolique 人工妊娠中絶が憲法に === 女性の権利にたいする象徴的な出来事 』です。再び重~いテーマです ネ。
以前にも何度かこのテーマに触れましたね。女性はかつて中絶すると罪に問われていました。そのために非合法で危険な中絶が絶えませんでした。でも 1974 年に 2 年におよぶ激論のすえ、人工妊娠中絶中絶 ( IVG : l'interruption volontaire de grossesse ) が法律でみとめられることになりました。
そしてそれからさらに約50年の後。今度は憲法に、女性の中絶の自由が明記されました。
憲法はすべての法律をしばることができる法規です。法律の方は、政府がかわれば、変わる可能性があります ...un changement de gouvernement pouvait modifier ou supprimer la loi 。でも憲法は、どの国でも、簡単には変えられない仕組みになっています。基本の基だからです。
© AFP 1974年国民議会でのシモーヌ・ヴェイユおりしもアメリカや EU の一部の国では、政府の保守化にともなって、中絶が困難になってきています Partout dans le monde, par exemple aux Etats-Unis ou en Europe de l'Est, avorter est de plus en plus difficile 。
このように時の政権によって左右されることがないようにするために、憲法に中絶の自由が盛りこまれたのです。
ただ「自由」とは記戴されましたが、「自由」ではなく中絶の「権利」と記戴することを求める声も強くあるそうです。シモーヌ.ヴェイエは、ヴェイエ法を成立させるために、ほぼ全員が男性の議会の前で演説をし、こんな言葉をはさんでいました。" ... aucune femme ne recourt de gaieté de cœur à l'avortement. ...中絶を喜んでする女性など一人としていないのです。 "
© ICI IVGの憲法記載が
エッフェル塔に掲げられた
© 『時事フランス語 2025年度版 Hirondelle 2025 』 朝日出版社
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今週は、ミュリエル・バルベリ Muriel Barbery の『優雅なハリネズミ L'élégance du hérisson 』です。
前回は「私 ( = ルネ ) 」が小津監督の映画をたたえ、おおいに語るくだりです。
私は図書館の司書のアンジェルをとおして小津の映画を知りました。今月になってもう10回も、小津の映画を観ています。今日、私が観るのは『宗像姉妹』。
この映画には、父の死、お見合い、かなわぬ愛、家系、アルコール、男性の暴力・・・といろいろな問いがこめられているのです。しかしなによりも、いくつかのささやかなシーンがこの映画を無二なものに仕立てていると思います。
例えば、夕日に映える苔と、その苔の上に満ちている一輪の椿。その光景を愛でる父と娘の対話。あるいは、京都の山々が紫色で美しいと語る姉と、それを茶化す妹とのやりとり。
こんななんでもない場面がこの映画を特別なものにしているのです。これこそが姉の節⼦が語る「永遠に通じる新しいもの」なのかもしれません。♠
そしてあらたな章に突入。パロマの「この世の運動日誌」の第三弾です。パロマはテレビ好きですが、音声を切ってみます。そうするとレントゲンをとおして映象を見ているような気分になるのだそうです
・・・と前回はここまで。* * * * *

今日、私 ( = パロマ ) は、飛び込み競技の中継をみました。実に面白い「この世の運動日誌」にふさわしいパフォーマンスでした。とりわけ私の目をひいたのは、ペアの飛び込みです。ひねりやら宙返りやらをこなすだけでなく、それらをぴったり息をあわせて、寸分のずれもなく二人で飛び込むのです ...ce qui m'a bien intéressée, c'étaient les plongeons à deux. ... En plus de la prouesse ...avec tout un tas de vrilles, de 'saultos'..., il faut que les plongeurs soient synchrones.... Parfaitement ensemble , au millième de seconde près " 。
愉快なことに、ノッポとチビのペアもいましたが、両者、見事にシンクロしていました。究極のペアはすらりとした三つ編みの二人の中国の選手でした。飛び込み台に立つ二人の姿に観衆は息をのみます。そして優雅に勢いをつけた二人が、中空に身体を放ちます。まずは最初の数千分の 1 秒。完璧です Après quelqeus impulsions gracieuses, elles ont sauté. Les premières microsecondes, c'était parfait 。
「ミラー・二ユーロン」なのものがはたらくせいでしょうか…。なぜか私も、彼女らと同じように、アクロバティクに水に飛び込んでいるような気分になりました。陶酔しました。
しかし次の瞬間、両者のあいだに極めてほんとに極めて、わずかなずれを感じました。 着水まではせいぜい三秒でしょう。しかし私はこの三秒を、長い長いスパンに延ばしました。あらゆる動態をみるためです。
画面を食い入るように見ました。間違いありません。もはや両者が完璧に同時に着水することはありません On scrute l'écran ..., pas de doute...l'une va entrer dans l'eau avant l'autre 。私は叫びました。「はやく!追いついて」と。
おくれた方の選手に怒りをおぼえました。そして30分間、ソファーにからだをうずめて一人でカッカと憤慨していました。…でも思ったんです。どうして私はカッカしているのだろうって。それは、" 一瞬の差が永遠を奪ったから " だと思いました。ほんの一瞬の差で、叶うべきだったダイブが、実際には叶いませんでした。一瞬の差でつかみ損ね、永遠に手にすることができないもの…。一瞬の差がもたらす " つまづき " です。
それともう一つ、憤慨した理由は…それは、あの「二ューロン・ミラー」のせいなのだと思います。私たちはテレビをみながら、ニューロン・ミラーをはたらかせて臨場感にひたっています。でもまさか、もしかして文学もテレビのようなものなでしょうか・・・
次回は p123 の " Et si, pire encore, la littérature ,c'était une télévision... " からです。

© " L'élégance du hérisson ", Muriel Barbery , Editions Gallimard
