2025 年 10 月 7 日
- 中級
-

今週は第八課の『 La " French touch " フレンチ・タッチ 』です。
はずかしながらまったく知りませんでしたが、フレンチ・タッチというのは、1980 年代末にフランスで生まれたディスコ音楽をさすのだそうです。フレンチ・ハウスとも呼ばれているようです…( 間違っているかもしれません… )
おりしもイギリスでは、ディスコなどでの音楽が騒音であるということで、ご法度になります。当時のサッチャー首相のお達しのようです .. le gouvernement britannique de Margaret Thatcher a décidé d'interdire les soirées house ...afin de mettre un terme aux nuisances sonores 。フランスはその受け皿になり、フレンチ・タッチに影響をあたえたとか。
たくさんの DJ やミュージシャンが登場し、90 年代後半に絶頂期をむかえたそうです。なかでもダフト・パンク Daft Punk というデュオが一番知られている由。
その後は、ちょっと商業化しすぎと考える DJ たちも多いようですが、フレンチ・タッチの流れは連綿と続いているそうです ... le courant ( de la French touch ) est devenu trop commercial pour beaucoup de DJ. ... le mouvement continue d'inspire de nombreux artistes... 。フレンチ・タッチというレーベルを知らないまま、その魅力にはまっているミュージシャンも少なくないとか
!!
© 『時事フランス語 2025年度版 Hirondelle 2025 』 朝日出版社
- 上級
-

今週は『影泥棒 Le voleur d'ombres 』です。
前回は、リュックが自分には医学の道がむいていないのではないかと、多いに気落ちするくだりでした。それというのも交通事故にあった患者たちの凄惨なすがたを見て気絶してしまったからです。
しかし落ちこむ理由はどうやらそれだけではなく、聞けばガールフレンドのアナベルとの仲がかんばしくないとのこと。原因はアナベルが両親にリュックを紹介してくれなかったから。
そこで僕はリュックをなぐさめました。親にボーイフレンドを紹介するというのは特別な意味をもつのだから、そうしなかったからと言って気をもむ必要がない、と。するとすかさずリュックに突っ込まれます。曰く、" おまえ ( 僕のこと ) は、ソフィーを母親に会わせておきながら、ソフィーにどっちつかずの態度をとりつづけているではないか " と。言われてみればその通りで、自分の身勝手を思い、ソフィーにあわてて電話をかけましだが、応答はありませんでした。そして大晦。僕は夜勤で、沢山の急患がやって来ることを覚悟しているところに、一人の老婦人が担架で運ばれてきました。なぜか上機嫌ですが、婦人は僕を見るや、自分はあなたの上の階に住んでいる住人よ。年寄りの私よりよっぽどうっかり屋さんね、と言うのでした・・・と、前回はここまで。
* * * * *

何度か階段ですれちがったけれど、あなたは自分の影がついていけないくらい、いつも駆け足で階段をのぼっているわね、と特に他意はなく語る婦人。
五年も暮していたというのに、おなじ建物に住む人のことを考えたこともなかったなんて Cinq ans... ... jamais, je ne m'étais demandé qui vivait là …。僕は小さなランプをあてて、婦人の瞳孔をみていましたが、なかなかロ達者な婦人は、捻挫をしただけなのだから、はやく帰りたいの一点ばり。それでも、夜勤が終わったら自宅までお送りするからと約束して、レントゲン室に行ってもらいました "... nous allons vous envoyer à la radio et... je vous raccompagnerai à la fin de ma garde. " 。
大晦の急救患者を診終えて、婦人のもとへ行くと、足首に包帯をまいて婦人が車椅子にすわって僕を待っていました。随分、待たせたわねと口は健在。
救急隊員に手伝ってもらい、婦人を自宅のソファーにすわらせます。連絡先を記して、いとまごいをしようとしましたが、婦人は「病院に運びこまれた時に、なぜ上機嫌だったのかを話していなかったわね "... je ne vous ai toujours pas dit ce qui m'amusait tant en arrivant à l'hôpital " 」と僕をひき留めます。

次回は p189 の " Je le retrouvai chez moi un peu plus tard ... " からです。
© " Le voleur d'ombres ", Marc LEVY, Edition Robert Laffont
2025 年 10 月 14 日
- 中級
-
アメリカ先住民今週は第九課の『 Les Cajuns : des francophones en Louisiane ケイジャン : ルイジアナのフランス語話者たち 』です。
北アメリカには、ナバホ族 Les Navajos、チェロキー族 Les Cherokees、スー族 Les Sioux などなど先住民が住んでいました。
そこへ 16世紀ころからフランス人がやってきて植民地をつくります。その土地がアカディアと呼ばれました。牧人たちの理想郷アルカディアがその名の由来です。
ニコラプッサンの
『アルカディアの羊飼いたち』やがてイギリス人もやってきて、先住民をまきこみながら、両国が領土争いをします。広大な土地はイギリスのものとなり、アカディアの人は土地を追われ、はるか南のルイジアナにたどりつきます。
ルイジアナに住み着いた人たちは、ケイジャンと呼ばれました。アカディアンの最初の「ア」が冠詞の A と勘違いされて、カディアンだけが残り、それがケイジャンと呼びならわされるようになったそうです ...le nom " Cajun " est la déformation par la langue anglaise de " Cadien " 。
ジャンバラヤケイジャンたちは湿地にすみはじめます。貧しい暮らしを余儀なくされたようです。米作りをし、小エビやザリガニを捕っていました ...ils cultivent du riz et pêchent des crevette et des écrevisses 。ジャンバラヤは、その米と小エビをつかった郷土料理です。また、ケイジャンたちが話すフランス語は英語におされ、1970 年には 100 万人の話者がいたそうですが、 2015 年には 15 万人にまで減りました Il y avait un million de francophonnes en 1970, mais il y en a seulement 150 000 en 2015. 。しかし近年では、ケイジャンたちが代々引き継いできた言葉や文化を、絶やさないでいこうという運動がおきているそうです
。
ケイジャンの祝祭マルディ・グラ
© 『時事フランス語 2025年度版 Hirondelle 2025 』 朝日出版社
- 上級
-
© 1999-2025 John Wiley & Sons, Inc今週は、ミュリエル・バルベリ Muriel Barbery の『優雅なハリネズミ L'élégance du hérisson 』です。
前回は、「私」がマニュエラとのティータイムを終えて、突如、人生の不条理に思いをはせるくだりでした。マニュエラが帰った後、コンシェルジュの仕事を大車輪で終えると、急に脱力してまったのです。アルタン氏が死の淵にあるからでしょうか…。
アルタン氏は権力を渇望していました。しかし同時に徹底して美を追求する人でもありました。
人は皆、美はたたえ、権力ヘの渇望は批難します。でも私も含めて誰もが皆、力への志向はもっているものなのではないでしょうか。そもそも私たち霊長類のおもな活動は、領土と地位の確保と性の営みです。そのために媚びと脅しを駆使しています。にもかからわず私たちはこの事実をわかっていません...と前回はここまで。
* * * * *

こんな風に、テリトリー、ヒエラルキーそしてセックスが霊長類の活動の根っこにあるのですが、それを私たちは意識していません。そしてと言うか、だからこそというか、私たちはことさらに愛についてとか善悪について、哲学について語ったりしているのです。
マイホーム、肩書き、セックス・・・これは現代版の " 霊長類の生存要件 " そのものです。この事実に気づいた時、私たちはまるで夢から目覚めたように、人生の無意味を感じざるをえないのです。
愛を、政治を、知性を、形而上学を、倫理を…信じていたのに、それが人間の本性を前にしてくずれさってしまった時、すべてがその「意味」を失います。もう金持ちもいなければ貧者もいません。優しい人もいじわるな人も、進歩主義者も保守主義者も退場です Exit les riches et les pauvres...les gentils et les méchants... les progressistes et les conservateurs... 。
そんな絶望的な時、私たちが必要とするのは芸術です。霊長類としての運命から脱することを切望するなら、この世から詩や偉大なものを消しさらないようにしなければなりません。
ですからお茶を飲みましょう ! さもなければ小津監督の映画を観ましょう。闘いの輪から出ましょう。この悲壮な人生という芝居に、芸術という刻印を与えましょう Alors vous buvez une tasse de thé ou bien vous regardez un film d'Ozu, pour vous retirer de la ronde des joutes.... et donner à ce théâtre pathétique la marque de l'Art... 。
- - - 以上、第十二節 「人生はむなしい舞台のよう」 終わり- - -

次回は p118 の " Éternité A vingt et une heures, j'enclenche donc dans le magnétoscope la cassette d'un film d'Ozu. ... " からです。
© " L'élégance du hérisson ", Muriel Barbery , Editions Gallimard
2025 年 10 月 21 日
- 中級
-
緑 : 時代ごとのアメリカ
先住民の領土今週も第九課の『 Les Cajuns : des francophones en Louisiane ケイジャン : ルイジアナのフランス語話者たち 』の続きです。
今回は少々、地図やら絵画をのぞいてみました。たとえば、ネイティブ・アメリカンが住んでいた地域 Territoires indiens の図 ( 17 世紀以降、戦いや法律でつぎつぎと土地を奪われていった様子が分かります ネ … ) 。
青:フランス、赤:イギリス、黄;スペインそれから 18 世紀北米の、フランス領とイギリス領の分布図などなどです。左の図では、青がフランス領、赤がイギリス領です。アカディアンの人たちは、イギリスに敗れて、フランス領のルイジアナまで、とても長い距離を南下してやってきたのですね。ちなみにルイジアナはルイ 14 世をたたえてつけられた地名とか Cette région ... s'appelle Louisiane en hommage à Louis XIV 。
ところで、アカディアンの子孫たちのなかには、自分たちはケイジャンではなく、カディアンと呼ばれるべきであると唱える人もいるそうです Par ailleurs, parmi les descendants des Acadiens, certains affirment qu'ils devraient être appelés non pas Cajuns mais Cadiens 。ケイジャンは英語化された呼び方だからです Il s'agit d'un anglicisme. 。若いケイジャン ( カディアン ) は、自分たちの言語や文化を守ろうと、音楽やボッドキャストなど、新しい媒体をを駆使しているようです ヨ 。
© 『時事フランス語 2025年度版 Hirondelle 2025 』 朝日出版社
- 上級
-

今週は『影泥棒 Le voleur d'ombres 』です。
前回は、「僕」が大晦に老婦人を診察するくだりでした。婦人は救急外来に、なぜか上気嫌で搬送されてきました。婦人から「私は、あなたのアパルトマンのま上の階に住んでいるのよ」と言われました。つまり5年間もお隣りさんであったのに、僕は婦人を知らずにいたのです…。僕はしばし考え込んでしまいました。
なかなか威勢のよい老婦人で、ただの捻挫なのだから、はやく自宅に帰えしてちょうだいと訴えます。が、まずはレントゲンをとってもらい、その後、僕の夜勤が終わったら自宅まで送り届けるからと約束をとりつけます。ずいぶん待たせるわねぇと文句も言われましたが、とりあえず老婦人を自宅にとどけ、ソファーに坐ってもらいました。これからしばらく困らないようにと、僕の連絡先をメモして辞そうとしましたが、ひきとめられます。どうやら婦人は、搬送時に上気嫌だった理由を語ろうとしているようでした・・・と前回はここまで。
* * * * *

まずは「コーヒーを入れてちょうだい」と指示がでます。病院の自動販売機のコーヒーは一ロ飲むや、捨てられてしまいましたから、僕は丁寧にコーヒーを淹れました。美味しいとも不味いとも言われませんでしたから、まずはどうやら合格したのでしょう Je préparai le café du mieux possible ...elle but sa tasse sans faire de commentaire, j'avais réussi l'épreuve 。
僕にビスケットをすすめながら、婦人は、息子や娘といかに折り合いが悪いかを語りはじめます。曰く…
「クリスマスは息子夫婦や娘夫婦と合流したくなかったの。だから、捻挫をしたからと嘘のことわりの電話をいれたのよ。息子も娘も負けずおとらず自分勝手だから、捻挫した母を慮って会いに来てくれるはずはありません。だから正月明けに彼らが来た時に包帯をまいてごまかせば、こと足りると考えていたの…」。
ところが、願ってもないことがおこりました。電話をした矢先に足をすべらせ仰向けに倒れ ...j'ai glissé et me suis retrouvée les quatre fers en l'air 、本当の捻挫をしてしまったのです。しかも若い救急隊員が6人もイヴの夜にやってきてくれたのです。病院でこの上なく上気嫌だったのはそういう訳だったのでした。
僕は婦人をベットに寝かせ、テレビをつけ、ゆっくり休んでもらうことにしました。そして大慌てで自宅に戻り、母に電話をかけました。
♣ ♣ ♣
正月があけ、リュックが ( なんと ) 医学に意欲まんまんで戻ってきました。母から託されたという手紙とプレゼントを僕にもってきてくれました。「私 ( = 母 ) は疲れぎみだけれど、お隣りがもってきてくれた薪を暖炉にくべて、パチパチとはじける火を見ながらあなたのことを思っています ...j'allume ma cheminée et regarde le feu crépiter dans l'âtre en pensant à toi... …」という書きだしでした。
次回は p202 の " Cela me rappelle tant de souvenirs ... " からです。
© " Le voleur d'ombres ", Marc LEVY, Edition Robert Laffont
2025 年 10 月 28 日
- 中級
-
モン・ブランの天文台今週は第十課の『 Jules Janssen ジュール・ジャンセン 』です。
ジュール・ジャンセンは 19 世紀の天文学者です。1868 年、インドで日蝕を観測しているときに、太陽のスベクトルに黄色い線があることを発見しました En 1868, lors d'une éclipse solaire en Inde, il a découvert une nouvelle ligne jaune dans le spectre solaire 。この発見のおかげで、太陽にヘリウムがあることを突き止めたのだそうです。地球上でヘリウムが発見されたのは 1895 年ですから、それよりも前のことでした !!
写真銃天体観察に分光器 ( spectroscope ) をもちいたり、写真銃 ( fusil photographique ライフルの格好をした連続写真機 ) を発明したりと、天体観測の方法や器機を刷新したことでも知られているそうです。
長崎で使われた写真銃1870 年 12 月 2 日、パリはプロイセンによって包囲されていました ( パリ・コミューンやルイーズ・ミシェルにまつわる課でも触れましたね ) 。この時、ジャンセンは なんと ! 気球にのってパリを脱出。アルジェリアのオランに向かいました。日蝕を観察するためです ( 曇りで見られなかったそうですが… )。アフリカやアメリカばかりか日本にもやってきました。長崎で、写真銃をもちいて、太陽のまえを金星が通過するのを観察するためでした。
みずから城を買い天文台に改修したり、果ては高齢であるにもかかわらず、モンブランに 3 度にわたって登頂し ...malgrè son âge avancé, il a fait trois fois l'ascension du Mont Blanc 、標高 4800 m に天文台をつくったそうです !!
© 『時事フランス語 2025年度版 Hirondelle 2025 』 朝日出版社
- 上級
-

今週は、ミュリエル・バルベリ Muriel Barbery の『優雅なハリネズミ L'élégance du hérisson 』です。
前回は、「人生は虚しい。私たちは人生という舞台で役を演じているにすぎない」と " 私 " が自説を開陳するくだりでした。
マイホームや社会的地位をえること、そしてセックス・・・私たちはこれらにせっせと勤しんでいます。霊長類のころの私たちが、領⼟や群れでの地位を守り、子孫を残そうとしていたのとなんの変わりもありません。それ故かどうか、ことのほか私たちは愛やら政治やら善悪やら形而上学やら・・・を語ります。しかしこうした言説が、私たちの霊長類的本性を前にしてくずれさる時、私たちの社会は、その意味を失います。そうとなれば、偉い人もいなければ、そうでない人もいません。進歩主義者もそうでない人も、いじわるな人もそうでない人もいなくなるのです。
私たちの本性がもたらす絶望から、自らを救いたければ、芸術をもとめることです。ですから私は、ジャスミシティーを飲みながら小津安二郎の映画をみます。- - - 以上、第十二節 「人生はむなしい舞台のよう」 終わり- - - と前回はここまで。
* * * * *
第十三節「永遠」
ルネの独語の続きある時、私は図書館の司書のアンジェルに「ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders の初期の作品が好きなの」と伝えました。すると彼女からは「それなら 『東京画( ヴェンダースの、小津監督などを撮ったドキュメンタリー映画 ) 』は見ました?」と質問がかえってきました。それ以来のことです。小津の作品や映画芸術そのものが私の人生のなかに入ってきたのは。

今月になって小津の映画をみるのは10回目です。21時。私は『宗像姉妹』のビデオのスイッチを入れました。特別、心に残る場色があります。
一つは、余命いくばくかの父とその娘の節子とが、散策から戻り、語り合う場面です Le père ...qui va bientôt mourir, devise avec sa fille Setsuko de la promenade qu'ils viennent de faire dans Kyoko... 。苔のむす寺に陽がさし、苔が一層美しく見えた La lumière rehaussait encore la mousse と父が語ると、娘が、その苔のうえにおちている一輪の椿を愛でます。
もうーつは、姉妹が京都の山々の色の美しさに顔をかがやかせる場色です。妹の満里子が山の色をちょっと茶化すと姉の節子がほほえむのです。
この映画には、かなわぬ愛、お見合い、親子関係、酒、男性の暴力・・・沢山のテーマがはさまれています。けれど、あの二つの場面は、あの二つの場面があるだけで映画全体を特別なものに仕上げていると思います。西洋の人間には見すごされがちな何かです 。節子はこう言っています。「永遠に通じるものこそ新しい 」と。うつろう人生の中で永遠を見定めているのだと思います。
- - - 以上、第十三節「永遠」終わり - - -
- - - 第十三節後半「この世の " 運動 " を綴る No 3 」- - -
「はやく、追いついて!」
パロマの独語です私は沢山テレビを見ます。音を消して見ます。するとまるでレントゲンの映像を見ているようです。
♠♠♠
次回は p121 の " Si vous enlevez le son, en fait, vous enlevez le paquet d'emballage, le beau papier de soie qui... " からです。

© " L'élégance du hérisson ", Muriel Barbery , Editions Gallimard
