2025 年 5 月 13 日
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今週は、第九課の再読です。タイトルは 「 Simone Veil : une femme au courage inébranlable qui voue sa vie à la justice sociale 不屈の勇気をもって、社会の正義に人生をささげた女性、シモーヌ・ヴェイユ 」。
新しく次の十課も読みはじめました。ブリジット・バルドーについてです !! タイトルは「Brigitte Bardot, un ancien sexe-symbole qui lutte pour la cause des animaux かつてのセックスシンボルそして今日の動物愛護の闘志、ブリジット・バルドー 」です。2023年のインタビュー番組によると、ブリジット・バルドーは現在 90 歳。サント・ロペに住んでいるそうです。一緒に住んでいるのはたくさんの動物たち。ブリジット・バルドーが動物愛護の運動に向かったきっかけは、家畜が無残に屠殺される現場を見たことだったそうで ...tout commence par sa découverte de la mise à mort brutale des animaux dans les aabattoirs... 、いまもなお自分の動物擁護団体をつくったり、メディアや大統領や政治家に直訴したり ( 訴えが要人の耳によく届くようにと、補聴器を添えて送ったこともあったとか… )、と積極的に行動しているそうです。
ただ、新聞によると、ブリジット・バルドーは人種差別的発言をくりかえしていて、なんども裁判にかけけられ、そのたびに罰金刑を受けていますねえ…ウ~ム。
© 『フランス史のかなの「異人」たち 2 』 朝日出版社
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今週は、ミュエル・バルベリ Muriel Barbery の『優雅なハリネズミ L'élégance du hérisson 』です。
前回は、パロマとルネのそれぞれの独語でした。
まずはパロマから。「私( = パロマ )」の母は観葉植物にただならぬ執着をもち、土の配合から肥料のあれこれへの配慮を怠りません。もちろん娘たちに対する目配りも欠かしません。インゲンを食べるように、ビタミン C をとるように・・・と。でも、私が欲しいのは、そのような栄養はではありません。心の中にふみこんできて、胸襟を開いて心の不安を共有できたらもっといいのにと思っているのです…。つづいてルネの独語。とある日、「私( = ルネ)」の管理人室にシャブロ氏がやってきました。アルタン氏の家庭医です。呼び鈴をならし、私がとびらをあけるや、こともあろうに「ミシェルさん」と私の名を呼んだのです。この20年、私がシャブロ氏から名前を呼ばれたためしがないというのに…。おまけに氏は私を見てみないふりをし続けてきました。ですから、もしかしたらこの目の前の人物はシャブロ氏になりすました宇宙人なのかもしれないとかんぐったぐらいでした。
しかしそのシャブロ氏が今日はいつもとはうって変わって、無惨にも鼻水を垂らし、手を震わせています。そして「アルタン氏が危篤です」と言うのでした…。と前回はここまで。
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私は、昨朝、小山羊のようにピンピンしているアルタン氏を見ていましたから Mais je l'ai vu hier matin, il se portait comme un charme... comme un cabri 、にわかには信じることができませんでした。シャブロ氏はアルタン氏を入院をさせず、自宅で看取るとつもりだと言います。そして「アルタン氏が最期に会いたいのは子息のポールだけなのです。したがって、ミッシェルさん ( またもや私を名前で呼びました !! ) 、好しからざる人が来たら、うまく取りなしていただきたいのです」と訴えます。
…何をかくそう私は言葉の仕組、からくり、使われ方にはことの他うるさいのです。なにしろ猫の名前を『グレビス註 1 』にしようと思ったくらいですから。
「好しからざる人は、うまく取りなしていただきたい…」なんという言いまわしでしょう。単に「ポール以外の人は追いはらって」と言ってもよいのです。私はシャブロ氏のこの古めかしい丁寧な言葉遣いにうっとりしてしまいました。
しかしこれはいけません ( だって、私が文芸を愛し、その素養があることをマンションの住人には絶対に知られてはならないことになっているからです ) 。最近は、どうも気がゆるんでいるようです。先日もこのマンションの住人の御曹司が唐突にマルクスの話しをもちだしたので、ついうっかり私も「私のマルクス考」を口に出してしまうという⼀件がありました。
私は、シャブロル氏の言葉遣いにうっとりして、眼をかがやかせていたにちがいありません。シャブロ氏がけげんな様子をみせていましたので、私は慌て、ちょっとした間違った言葉遣いをしてみせました。しばし沈黙がありましたが、シャブロ氏が「それではよろしく」とあいさつし、私が「はい、どうも」とそれに答えて⼀件が落着したのでした。
以上、第十節 「グレヴィスという名の猫 」
- - - 終わり - - -註 : Grevisse はベルギーの文法学者です。" Le bon usage " という文法書の著者。" Le bon usage " は、内容の網羅性や記述の緻密さ、たしかな典拠と例文の多さ…と、なにをとってもすごい文法書です。ただ現代は「大規模言語モデル」の時代だそうで、その意味では事情が異なってくるのでしょうか… ?
モーリス・グレヴィスとボン・ユザージュ
次回は p98 の " Pensée profonde No 5 "からです。
© " L'élégance du hérisson ", Muriel Barbery , Editions Gallimard