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2017年11月7日

初級

今回は、シスレーの『カナル・サン・マルタン(運河)』です。シスレーの絵の特徴の一つは水面に映える光の描き方だそうです Les jeux de lumière sur l'eau sont une des caractéristiques de son oeuvre 。

水面にはもう一つの青い空が映っています。

この絵が描かれたのは1870年。当時のパリ10区はとても鄙びています…。

昨今では、数キロの運河をゆっくり船で遊覧することもできるようです。いくつもの橋をくぐり、トンネルを抜け、左右の街並みを愛で…となかなかのコースだとか…。


© Au Musée d'Orsay Editions Asahi

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中級

今回のテーマは、「欧州文化首都・マルセイユ」です。

欧州連合は、毎年、2つの都市を「欧州文化首都」に指定するのだそうです。その目的は、欧州市民が互いに近づき、欧州の豊かな文化にふれ、欧州市民としての意識をつちかうこととのこと Les objectifs, c'est approcher les cityoyens européens, montrer la richesse culturelle de l'Europe et développer le sentiment de citoyenneté européenne 。2013年に指定されたマルセイユは、1年間、町の人々も参加して、400 もの展覧会、コンサート、祭り等々をひらいたそうです。

2017年欧州文化首都はデンマーク
オーフスとキプロス・パフォス

テキストの末尾は、アジアで「アジア文化首都」が毎年、指定されたら良いと思いませんか、という質問 !! そう思います…。

© A la page 2013 Editions Asahi

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上級

今週は " L'Etranger " です。

ムルソーは、司祭の面会をずっと断ってきました。夏の夕刻、体を横たえ、今頃、空が金色に輝いているんだろうと想像をめぐらせます。恩赦はあきらめました。それでもまだ生きています。血がどくんどくんと脈打っています Je venais de rejeter mon pourvoi et je pouvais sentir les ondes de mon sang circuler régulièrement en moi 。マリーのことを久しぶりに思い出しましたが、マリーと自分とを結びつけるものは、もう何もありません ...rien ne nous liait 。気持ちは醒めていました。自分が死ねば、思い出してくれる人は誰もいないでしょうし、それも致しかたないこと…と考えています。

そんな時、司祭が突如部屋に入って来ました C'est à ce moment précis que l'aumônier est entré 。来る時が来たのかと、体が一瞬震えます...j'ai eu un petit tremblement 。それに気づいた司祭は、「怖がらないで。ただちょっと顔を見たいと思ってきただけですから Il m'a répondu que c'était une visite tout amicale... 」と言って、ムルソーのベッドに腰をおろします。「そばに座りませんか」と穏やかな表情で語りかけますが、ムルソーは断ります。

両腕を膝におき、うつむいたまま両手を見つめつづける司祭 Il est resté... assis, les avant-bras sur les genoux, la tête baissée, à regareder ses mains 。ずいぶんと長いあいだそうしていましたが、突如、顔をあげて、「どうして私との接見をこばむんですか」と尋ねます。「神を信じてませんから」と答えるムルソーに、「本当にそう思いますか」と聞き返します。「そうかどうかを考える必要もありません。大切な問題だとは思えませんから ...j'ai dit que je n'avais pas à me le demander : cela me paraissait une question sans importance 」というムルソーの言葉を聞き、司祭は身体をおこします。両方の手のひらを腿におき壁に寄りかかって、独り言のように、「自分では確かだと思っていても、実際にはそうではないことがあるものです…」と一言。ムルソーはなにも言いません。「どう思います? 」とたたみかける司祭。「そうかもしれません。でも、そういう話しには興味がない…」とムルソー。

司祭は、ムルソーから視線をそらし、不動のまま、「そのようなことを言うのは、捨て鉢になっているからですか Il...m'a demandé si je ne parlais pas ainsi par excès de désespoir. 」と問い直します。「そうではなく、こわいのです。」「そうであれば、神が助けてくださいます。あなたと同じ立場にいた人は、皆、神におすがりしていました。」「そうしたい人は、そうすればいい J'ai reconnu que c'était leur droit 。…私にはもう時間がないんです。」と、ムルソー。

司祭の手が神経質に動きます。服の折り目をなおして、司祭は言います。「あなたが死刑囚だからではなく、友達としていわせてもらえば、私達は皆、死を背負っています」。ムルソーは言葉をさえぎり、「それは違う、慰めにもならない」と応酬します。司祭もそれは認めました。「しかし、今日死ななくてもいつかは死ぬのです Mais vous mourrez plus tard si vous ne mourez pas aujourd'hui 。そうだとすれば、そのつらい試練をどう迎えるのでしょう」。ムルソーは答えます。「今私はその試練を迎えていますから、今と同じようにします J'ai répondu que je l'aborderais exactement comme je l'abordais en ce moment . 」と。

次回は、 Il s'est levé à ce mot et m'a regardé droit dans mes yeux. からです。

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2017年11月14日

初級

今回は、2課の文法とディクテを少々。

ディクテでは、サン・マルタン運河の名の由来である「聖マルティヌス」についてと、映画で知られた「北ホテル」について書き取りをしました。

聖マルティヌスは、4世紀のローマの人ですが、アミアンの城門の前で貧しい人に自分のマントを裂いて与えたという伝説があるのだそうです。この貧しい人はイエスキリストであったという伝聞もあるとのこと。

一方の北ホテルは、サンマルタン運河のそばにある宿。映画は、ここを舞台に、若い恋人同士のピエールとルネが、貧しいがために心中をはかるところから始まります。この二人を助けるのが、エドモンド。ヒモで女たらしで命もねらわれているあやしげな男です。が、ルネをそっと見守り続けて…。古~い古~い映画ですが、心にしみますです、ハイ。

来週はディクテの続きと、アングルの『泉』の絵です。

© Au Musée d'Orsay Editions Asahi

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中級

バイユのタピスリー : ギヨーム二世の
イギリス征服の様子を刺繍したもの

今回のテーマは、「フランス対イギリス」です。テキストの書き出しは、「お隣同士のつき合いは、とかくややこしい Souvent, les relations entre voisins sont difficiles...」。

ずいぶん昔の話しですが、イギリスでは300年間、フランス語がつかわれていました。1066年に、ノルマンディーのギヨーム2世がイギリスを征服して以来のことです。法律文にいたっては、18世紀までフランス語 ( アングロ・フレンチ ) が用いられていたのだそうです。

フランスにおいても、南西のアキテーヌ地方は、かつてはイギリス領 !

イギリスの標語 : フランス語で記される

そして大航海時代以降は、アメリカ大陸はいうに及ばず、諸大陸、海洋の島々でも、「フランス対イギリス」の構図はずっと続いていました。

とはいえ、両国は、片やモリエールの国、片やシェークスピアの国と、互いに一目おきあう仲とのこと。はやくからドーバー海峡の海底にトンネルを掘ろうという計画もありましたし、2007年と2014年には、ツール・ド・フランスのスタート地点が、それぞれロンドンとリーズ(ヨークシャー)に決まりました。いろいろなことで両国はとても近い仲であるようです Beaucoup de choses rapprochent les deux pays 。

テキストのしめくくりは、「あなたの所ではお隣とどんな具合ですか Et vous, comment ça va avec vos voisins ? 」という質問。胸を張って、仲良いですよ、そうするよう努めてますよ、と答えたいところです…。

© A la page 2013 Editions Asahi

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上級

今回はお休みでした。
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2017年11月21日

初級

© 2002-2017
jeanaugustedomi
niqueingres.org

今回の3課は、ドミニック・アングルの『泉 La Source 』です。

グレコ・ローマン時代の神話では、「泉」は神に守られていたそうです。この絵の女性はまさしくその守護神。肩におかれた壺からは水が流れ出ています。

© 2002-2017 jeanauguste
dominiqueingres.org

作者のアングルは19世紀の人で、新古典主義の画家だそうです。新古典主義の絵の特徴は大方、背景が暗く、神話を題材にしており、均整のとれた(裸)体を描き、技術的には絵の表面がなめらかで刷毛のあとがみられないこと、…などがあるそうです。こうした流れに対峙してやがて台頭してくるのが印象派なのだそうです En réaction contre ce type de peinture vont venir les toiles des impressionnistes 。

次回は文法のおさらいと練習問題をいたしましょう

© Au Musée d'Orsay Editions Asahi

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中級

今回のテーマは、「MSF : Médecins Sans Frontières 国境なき医師団」です。

たった 3 年間しか存在しなかった国「ビアフラ」。国が包囲されて、100万とも200万ともいわれる人が飢餓で命をうばわれました。この時に赤十字の医師が「沈黙の誓い」を破って、現状を訴えようと Le Monde 紙に記事を投稿します。折しも Tonus という医療機関誌が災害援助医療団をつのっていたことから、ビアフラにいた医師らがこれに応じます。こうしてできたのが MSF です。創設は 1971年。

1999年にはノーベル平和賞を受賞。受賞式には、MSF のメンバーが白地に赤でグロズヌイと記した T シャツを着て参列したそうです。チェチェンのグロズヌイへの爆撃をやめてほしいという意思表示であったとのこと。

愚問かもしれませんが、どうして戦争はなくならないのでしょう、なぜ武器が造られ、売られ、買われ続けるのか… … …

© A la page 2013 Editions Asahi

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上級

司祭とムルソーは互いに相手の眼をまっすぐ見つめています。どちらが先に目をそらすか、これはかけ引きだ、とムルソーは考えます。司祭はムルソーを見つめたまま尋ねます。「では、あなたは、いかなる希望も持たずに、死ぬときは肉体も魂も死ぬと考えて生きているのですか ? 」「そうです」とムルソー。司祭は首をうなだれ再びベッドに腰を落としてしまいます。「気の毒な人だ。一人の人間に耐えられることではないのですよ。」と語ります。話しを聞く気が、失せはじめていたムルソーでしたが、心配げな司祭の声には、なにか迫るものがあり、ムルソーは再び司祭の言葉に耳をかたむけます。

「神の裁きがすべてなのであり、人間の裁きは何ものでもないのです」という司祭に「私はその人間の裁判で裁かれたのです」と答えるムルソー。「私は有罪になりました。それを償うだけです。それ以上のことを求められても無理です」。ムルソーはうつむき自分の足元をみつめます。「あなたには、人の裁き以上のものが求められています。見ることです。」「何を見るのですか」。「この石の壁からは苦しみがにじみ出ています。死すべき哀れな者たちはここに神の顔を見たのではないでしょうか。それをあなたにも見てもらいたい」。「私はこの壁をずっと見続けてきた。マリーの顔もさがしたが、だれの顔も出てくることはなかった」。

司祭は悲しげな表情で、あなたを抱かせてもらえないか、と申し出ますが、ムルソーは断ります。司祭はムルソーから顔をそむけたまま、ながい間、壁に手をあてています。「出ていってほしい、一人にしてください」とムルソーが言おうとしていたまさにその時に、突如として司祭が叫びます。「あなたにだって、あの世を願うことがあったはずだ」と。

「そりゃあ、金持ちになりたい、速く泳げるようになりたい、というのと同じように、あの世があったらと思うのは当然でしょう」とムルソー。神についてさらに語ろうとする司祭に、もうこれ以上、神の話しで時間を無駄にしたくない、とムルソーは言おうとします。が、司祭は「なぜ私を、我が父と呼ばないのです? 」「あなたは私の父親ではありません。」司祭はムルソーの肩に手をかけ、「我が息子よ。それは違います。私はあなたと共にあります。なのにあなたの閉ざした心が、そのことを見えなくしているのです。あなたのために神にお祈りします」。

その時です。ムルソーのなかでなにかが砕けました。声を限りに司祭をののしり、祈るなと叫びます。司祭服のえりをつかみ、「あんたは自分が正しいかのように振る舞っているが、本当にそうか。私には何もないように見えるかもしれないが、私は分かっている。自分が生きていることも、じきに死が来ることも。死からのがれられない、そういう真実を私はつかんでいる。いろんな生き方がある。したこともしなかったこともある。それでどうなる。結局は、私がつかんでいる真実が証明される瞬間を、私はずっと待ち続けているんだ」。

次回は、De fond de mon avenir, pendant toute cette vie absurde que... からです。

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2017年11月28日

初級

今週は、4課の文法とディクテ。  ディクテのテーマは、「 泉 la fontaine 」 です。

リュクサンブルグ公園には、「メディシスの泉」があります。その泉に、ギリシア神話から題材をとった、 2 人の恋人と巨人の彫像が置かれています。

恋人は、シチリアの羊飼いアキスと、その恋人ガラテイア。そして 2 人に覆いかぶさるようにのぞいているのが、巨人のポリュペーモス。巨人ポリュペーモスは嫉妬にかられて、アキスを岩で殺してしまいます。岩の下から血が流れますが、ガラテイアは神に祈って、この血を川にしてもらうという話しです。

こちらにはパリにある「泉」のあれこれが載っています。

© Au Musée d'Orsay Editions Asahi

エクサン・プロヴァンスの「 4 匹のイルカの泉 」

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中級

今回のテーマは、「ハラル Halal 」。どの社会でも、またどの宗教でも、 " 禁忌 " はありますが、イスラム教では、日常生活でしてはいけないことをハラム Haram というのだそうです。逆に「許されていること」はハラル Halal なのだそうです。今回のテキストは、食肉にかかわるハラルがどんな状況を生み出しているかです。2013年度版のテキストであるということを頭の隅において、読んでみました。

テキストをまとめてみると、以下のようになるでしょうか。 ♣ 食肉がハラルであるためには、屠殺が決まりどおりになされていなければならないが、この屠殺方法は欧州連合の基準に反して残酷である。♣ フランスのイスラム教徒は人口の 4 % ( テキストより ) であり、かつ公の場ではライシテ ( 宗教をもちこまないこと ) が重んじられているので、学校給食などで特定の宗教に配慮することは問題である。♣ ただしハラルは今日、ビジネスと結びついていて、多様な食品が出回り、その売り上げも倍増している。とこんな風に述べられていたと思います。

ところで 2012 年は大統領選があった年で、ハラルをめぐる議論がエスカレートしました。しかし今日では、こうした議論を再考する必要があると考えている人もでてきています(1)。たとえば、ハラルの歴史を長いスパンで見ると、ハラルの決まりがきびしくなったのは、たかだか 60 年ほど前だそうです。そしてそのような決まりにのっとったハラル食品を新自由主義的な経済が取りこんだことで、ハラル市場はうるおい、また固定化していった、というふうにとらえる研究者もいるのです。難しい問題ですが、そうした一面もあるかもしれません…

次回のテーマは「ツールド・フランス」です。ちょっとリラックスできるかな…。

(1) フランソワ・ベルジョー F.Bergeaud (フランス国立科学研究センター研究員 : 『 Le marché HALAL ou l'invention d'une tradition ハラルの市場 - つくられた伝統 』の著者)

© A la page 2013 Editions Asahi

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上級

今週は、第十三回目の " Le collier rouge " です。こちらにまとめました。

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2017年11月