初級
今回はラファエル Raphël の『La belle jardinière 美しき女庭師 』のテキスト後半です。
この絵にはイエス以外にもう一人の子供が描かれています。洗礼者ヨハネです。ラクダの皮の服をまとい、地面に片膝をついてイエスを見上げています " Dans ce tableau, il y a un autre enfant vêtu d'une peau de bête, et qui regarde Jésus..."。これが洗礼者ヨハネです。のちにこのヨハネがヨルダン川でイエスに洗礼を授けることになります "Il ( Jean-Baptiste ) baptisera Jésus dans le Jourdain "。子供のヨハネは十字架をかついでいますが、これはイエスの死を予告しているのだそうです。
© Au Musée du Louvre, Editions Asahi
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中級
OIFサミット
2014年ダカール
今週のテーマは "700 millions de francophones en 2050 ( 2050年、フランス語の話者は 7 億人 ) !? " です。
フランス語は世界で5番目に多く話されている言語で、その数は 3 億人 (2018年)。テキストによると、人口増加にともなって2050 年には、7 億人になるという予想もあるようです。
OIFサミット
2021年チュニジア
フランコフォニーという語(1)は、ラルース辞典では「フランス語話者の総体 l'ensemble de speuples parlant lde français " 」と定義されているそうですが、詩人でセネガルの初代大統領であるレオポルド・S・センゴールはこのフランコフォニーの意味をもっとうまくつかんでいたようです。フランコフォニーは、「 ( フランス語という ) 一つの言語と一つの共通文化を分かち合おうという"意識" 」 Le poète et président du Sénégal, Léopold Sédar Senghor, en précise mieux le sens : la francophonie est la conscience de partager une langue et une culture commune" と述べたそうです。
フランコフォニーは l'OIF ( l'Organisation Internationale de la Franophonie ) という組織の名でもあります。加盟国は旧植民地のフランス語圏の国々が圧倒的におおいですが、それ以外の国や地域も参加しており、フランス語を契機としてつながり、協働しあう組織だとのことです。2年に一度サミットが開かれます。英国を中心とする Commonwealth ( コモンウェルス・オブ・ネイションズ ) との類似 ( や違い ) が論じられることも間々あるようです。
OIFサミット
2006年ルーマニア
(1) フランスの地理学者オネジム・ルクリュOnésime Reclus の造語。1880年の著書『フランス,アルジェリアと諸植民地』で用いられた。
© Perpectives - l'actualité française en 12 textes 白水社
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© O. Descaux
今週は "L'homme qui plantait des arbres" です。
私はブフィエ氏が強靭な意思の持ち主なのだと思っていましたが、氏の話しを聞くと、不運に見舞われたり、絶望したりしたこともあったようです。事実、せっかく植えた 1 万本のカエデがすべて枯れてしまったこともあったそうです。
氏はいつもたった一人で過ごしていました。ですので、晩年には言葉を失っていたように思います。もしかしたら言葉など必要ないと思っていたかもしれませんが…。
© O. Descaux
1933年には役人が、ご丁寧にもこの「自然林」が火事ならないよう火のあつかいに気をつけるようにとブフィエ氏に忠告しにきたことがありました。その数年後には、水源・森林管理局の役人やら議員やらが視察やってきました。口先ばかりで結局なにをするわけでもありませんでした (むしろ何もしてくれない方がありがたかったのですが) が、唯一、有益な決定をしてくれました。炭づくりのための木の伐採を禁止したのでした。
私には森林管理局長の友人がいました。私は彼に、どうしてこれだけの広大な森ができたか、その秘密を伝え、ブフィエ氏に引き合わせました。ブフィエ氏は植林の真最中でした。友人は森林に関して蘊蓄のある男でしたが、「誰よりも木のことをわかっているのはブフィエ氏だ」といって余計なことは口にしませんでした。
この友人のおかげで、3人の森林監視員が配置され、一帯の木々は伐採を免れることができました。ただし第二次世界大戦中は、木炭自動車が全盛で、木の需要がいくらでもあり、木々が伐られていきました。それでもブフィエ氏自身はそのような世事とはかかわりなく、30 km もはなれた地帯でただひたすら植樹をしていました。
私は 1920 年から毎年、ブフィエ氏に会いに出かけていましたが、1945 年が最後の年になりました。氏が 87 歳のときでした。この時、私は、はじめて来たときとおなじ道を通ってきました。きっと大きく変わっているだろうと予想はしていましたが、まさしく、見たこともない土地となっていました。次回は p49 の " En 1913, ce hameau de dix à douze maisons avait trois habitants... " からです。
© O. Descaux
© L'homme qui plantait des arbres par Jean Giono, Gallimard-jeunesse
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